2006年08月17日

ポジション・トーク

金融の、特に株式関係の業界では、「ポジション・トーク(position talk)」という言葉が
使われている。大和総研シニアコンサルタント、白石浩一氏によれば、
株式先物の買持ち・売持ち等のポジションを持っている影響力のある市場関係者が、自分に有利な相場展開を図るために世論誘導を企てること

これが、「ポジション・トーク」らしい。
たとえば、ドルを多く持つプレイヤーが、「ドル上がるぜ」と吹いて回る、
あるいは、ドルが上がる根拠ばかり挙げて論を展開する、そういうことを指すようだ。

広告系ブログなので広告で言うと、ほとんどすべての広告はこの「ポジション・トーク」になる。
そんなのあたりまえじゃねえか、といわれそうだが、ちょっと掘り下げてみる。

広告関係者、つまり広告主や代理店、メディアはみな、口には出さなくても
「ポジション・トーク」に対するスタンスを決めて、広告を作っているといえる。
たとえば、できるだけそうならないように慎重に語ろうとする。
たとえば、ポジショントークであることを受け入れ、開き直って広告する。
あるいは、ポジション・トークであることをできるだけ隠そうとする。

雑誌・新聞などでよく展開される「記事稿(記事風の体裁をとる広告)」は、隠そうとする典型だ。
(だから、原稿を書いているのは、実は第三者のライターであることも多い。)

しかし、あまりに悪意を持って隠そうとすると、ばれたときの痛みも大きい。
一般的な話で恐縮だが、Webが広まることにより、
ある情報に対するソース(情報源)の幅は、広がった。
気になれば検索し、そのいくつかを読み、いろいろな立場の意見を見ることができる。
だから、現代では、「ポジション・トーク」というのは、非常に危険な態度というか、方法である。

なのに、広告関係者は、いや、報道関係者もだが、まだ「ポジション・トーク」が
通じると信じて疑わない。たまに広告主でも、びっくりするほど無責任に信じる人がいて驚く。

多くの人が直感的に理解しているように、ウォークマンブログの炎上も、
TBSの亀田ボクシング問題も、ワールドカップの電通疑惑も、ライブドア問題も、靖国問題も、
CGMが注目されるのも、Googleの広告が嫌悪されにくいのも、ポジション・トークの問題だ。
マスメディアの衰退やテレビのCM飛ばし問題も、これに関連するかもしれない。

いま、「ポジション・トーク」は通じない。ならば、どうするか。
その態度、方法をどうとるかは、実は結構重要な問題だと思う。

従来からよくある手法としては、タレントが挙がる。日本に多い。
次に、ユーモアだ。ポジション・トークの嫌味さを中和する効果がある。欧米に多い。
そして、ユーザー登場。実際のユーザーを登場させる。健康食品・化粧品などに多い。
逆転の発想で、ポジションを明らかにする方法もある。古いが、ボルボの有名なコピーがある。
「私たちの製品は、公害と騒音と廃棄物を生みだしています」

しかし…どの方法も、程度の差はあれ、小手先の手法という印象を逃れられない。
いまどき、広告を見て、それを素直に信じるほど無邪気な人はどれだけいるだろうか。
驚きなのは、多くの関係者が、「うまくポジション・トークを隠すことが最適の方法だ」と信じていることだ。

現代の状況を踏まえるなら、ポジションを隠すことではなく、
明らかにすることが一番お得なのではないか。
それを続けることで、「こいつらは隠さず広告している」という
広告活動への印象を持ってもらうことが重要だろう。
心に刻まなければいけないのは、ある企業の「ポジション・トーク」に対する姿勢というのは、
広告活動に対する姿勢ではなく、「ユーザー・消費者に対する姿勢」をあらわしているということだ。

企業が一番怖いのは、消費者だ。だから、逃げようとする。
それ、ポジション・トークだ。目くらましだ。危うくなれば、隠そうとする。
しかし、隠そうとしてはいけないのだ。正確に言えば、もう隠れる場所がない。

広告表現で、夢を広げたり、想像力を刺激するのは結構なことだ。
それが傑作になるか、駄作に落ちるかは根本の、ポジショントークへの姿勢が
大きく影響しているように思われる。

もし、「素敵な嘘なら、だまされてもいいわ」といわせるくらいに、ジゴロな広告ができるなら、別だが。

koukokugyokai at 01:10 │Comments(0)TrackBack(0)

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