2007年05月29日
いま再びファジィに注目してみる
まだ若者にカテゴリされる年齢であるにもかかわらず、最近ものを忘れがちになってきた。
完全に忘れてはいないのだが、正確な名称などをを思い出せなかったりする。
歳を重ねるにしたがって、一般的には記憶力が衰えるとされるようだ。
そして、その事はあまり喜ばしいこととはされず、朝、ご飯を食べたことを
忘れてしまうような「痴呆症」と連結されて、負のイメージが付きまとう。
(ちょっと前に、「老人力」と名が付いて少し名誉回復したかな)
どこかで読んだか聞いたかしたのだが、正確に記憶する力自体は、
生物的に下等とされる存在でも持っているらしい。
自然淘汰的な考え方にのっとるならば、人間はもっと記憶力がよくなっても
いいのではないかと思う。
(いまとなっては、言語やらなんやらという道具があるわけだけど。)
あと、頭の悪い人はよく「物覚えが悪い」というふうに形容されることがあるが、
「物忘れが早い・激しい」からといって、頭が悪いとはされていない。
ものを覚えないことは問題でも、(ある程度)忘れることには合理性があるのだろうか。
いささか自己弁護的で、都合のよい方向にどんどん話が進んでいくのだが、
以前「洞察力」について、「IDEA×IDEA」の以下の記事を見て思った。
洞察力というのは、(この定義に従うならば)関係を見出す能力だ。
もっというと、構造や機能の類似性を見出す能力が重要だということだと思う。
で、その場合は、アナロジー(類推)というものが大いに関連してくる。
優れた人の話にたとえ話が多いのは、具体化とともに、アナロジーをうまく
機能させているからだというふうにも解釈できる。
で、本論なのだが、アナロジーを生むためには、あまりに正確な記憶ではダメで、
ある程度、あいまいに抽象化された形でものを記憶しておくべきではないかと。
完全に忘れてはダメだけれど、完璧に正確な記憶もダメではないかと思う。
いい感じの曖昧さがアナロジーを生み、洞察力につながるのではないだろうか。
乱暴な議論だがさらに進むと、現在のコンピュータの限界というものも目に付く。
コンピュータはデジタルがゆえに、完全な記憶をする。それがネックになる。
単純化するとコンピュータには洞察ができない。そういう理屈になる。
で、ここで持ち出していいのかわからないが、洞察を生むアナロジー、そして
それを生み出す曖昧力のようなものは、もしかしたら物忘れ力と
結びついているのではないかというような気がしてきた。都合が良すぎか。
80年代後半あたりに流行り、そして廃れた理論として「ファジィ論」があるが、
環境の変わった現在において、再び注目される時がくるのではないかと妄想してみる。
たとえばGoogleがファジィ理論に基づいてあらたなサービスを開発中・・・とか。
なんだか、「ありそう」な気がしないだろうか。ないか。
追記:むしろ、この手の無理矢理な自己肯定力のほうが重要な気がしてきた。
完全に忘れてはいないのだが、正確な名称などをを思い出せなかったりする。
歳を重ねるにしたがって、一般的には記憶力が衰えるとされるようだ。
そして、その事はあまり喜ばしいこととはされず、朝、ご飯を食べたことを
忘れてしまうような「痴呆症」と連結されて、負のイメージが付きまとう。
(ちょっと前に、「老人力」と名が付いて少し名誉回復したかな)
どこかで読んだか聞いたかしたのだが、正確に記憶する力自体は、
生物的に下等とされる存在でも持っているらしい。
自然淘汰的な考え方にのっとるならば、人間はもっと記憶力がよくなっても
いいのではないかと思う。
(いまとなっては、言語やらなんやらという道具があるわけだけど。)
あと、頭の悪い人はよく「物覚えが悪い」というふうに形容されることがあるが、
「物忘れが早い・激しい」からといって、頭が悪いとはされていない。
ものを覚えないことは問題でも、(ある程度)忘れることには合理性があるのだろうか。
いささか自己弁護的で、都合のよい方向にどんどん話が進んでいくのだが、
以前「洞察力」について、「IDEA×IDEA」の以下の記事を見て思った。
学生のころ、先輩にある質問をしました。
「先輩、洞察力の定義って何ですか?」(たしか彼に「洞察力もっとつけろよ」とか言われたとき)。
『洞察力ってのは「一見関係ないように見える二つの事柄の間に関係性を見つけること」だよ。』
なぜか今でもふっと思い出します。人と話をしているとき。ブログを書いているとき。講演していて質問に答えているとき。「今話していることって、あれとこういう関係がありますよね」、という視点をいつも大事にしています。
洞察力というのは、(この定義に従うならば)関係を見出す能力だ。
もっというと、構造や機能の類似性を見出す能力が重要だということだと思う。
で、その場合は、アナロジー(類推)というものが大いに関連してくる。
優れた人の話にたとえ話が多いのは、具体化とともに、アナロジーをうまく
機能させているからだというふうにも解釈できる。
で、本論なのだが、アナロジーを生むためには、あまりに正確な記憶ではダメで、
ある程度、あいまいに抽象化された形でものを記憶しておくべきではないかと。
完全に忘れてはダメだけれど、完璧に正確な記憶もダメではないかと思う。
いい感じの曖昧さがアナロジーを生み、洞察力につながるのではないだろうか。
乱暴な議論だがさらに進むと、現在のコンピュータの限界というものも目に付く。
コンピュータはデジタルがゆえに、完全な記憶をする。それがネックになる。
単純化するとコンピュータには洞察ができない。そういう理屈になる。
で、ここで持ち出していいのかわからないが、洞察を生むアナロジー、そして
それを生み出す曖昧力のようなものは、もしかしたら物忘れ力と
結びついているのではないかというような気がしてきた。都合が良すぎか。
80年代後半あたりに流行り、そして廃れた理論として「ファジィ論」があるが、
環境の変わった現在において、再び注目される時がくるのではないかと妄想してみる。
たとえばGoogleがファジィ理論に基づいてあらたなサービスを開発中・・・とか。
なんだか、「ありそう」な気がしないだろうか。ないか。
追記:むしろ、この手の無理矢理な自己肯定力のほうが重要な気がしてきた。
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この記事へのコメント
1. Posted by とおりすがり
2007年05月29日 11:53
記憶が完璧であればもっとたしかな例えが見つかるのでは?
あいまいな記憶で例え話をしても、どんどんずれていく気がします
あいまいな記憶で例え話をしても、どんどんずれていく気がします
2. Posted by ikaw
2007年05月29日 13:29
ファジイ理論なんて久しぶりに聞きました。
賛成反対かというと、賛成ですが、ファジイ理論は恐らく違うのでは…??
賛成反対かというと、賛成ですが、ファジイ理論は恐らく違うのでは…??
3. Posted by nokuno
2007年05月29日 17:43
大学でファジィ理論を学びましたが、ファジィは確率論の拡張です。Googleが使うとしたらベイズ推論とかの確率的推論と思われます。与えられたデータから目的の確率を計算するものですから。
詳しくは
http://japan.cnet.com/special/story/0,2000056049,20052855,00.htm
あたりをご参照ください。
詳しくは
http://japan.cnet.com/special/story/0,2000056049,20052855,00.htm
あたりをご参照ください。
4. Posted by 著者
2007年05月30日 03:31
>みなさん
ご指摘ありがとうございます。感謝です。
正直、このあたりの理論について勉強不足だったので、ファジイの例は不適切だったかもしれません。ベイズ理論の方が適切であるような気がします。nokunoさん情報提供ありがとうございます。
ちなみに、ですが、記憶が極度に正確なのはネズミだった気がします。
うまく表現できませんが、知識は正確に記憶していたほうがいいと思うのですが、構造みたいなものはある程度抽象化させて覚えていたほうが応用が効く気がします。
抽象化とか本質を見るとか、そういう切り口で考えたほうが良かったかもしれません。
ご指摘ありがとうございます。感謝です。
正直、このあたりの理論について勉強不足だったので、ファジイの例は不適切だったかもしれません。ベイズ理論の方が適切であるような気がします。nokunoさん情報提供ありがとうございます。
ちなみに、ですが、記憶が極度に正確なのはネズミだった気がします。
うまく表現できませんが、知識は正確に記憶していたほうがいいと思うのですが、構造みたいなものはある程度抽象化させて覚えていたほうが応用が効く気がします。
抽象化とか本質を見るとか、そういう切り口で考えたほうが良かったかもしれません。
5. Posted by とおりすがり
2007年05月30日 11:40
>著者さま
なるほどです
ちょっと違うかもしれませんが
将棋の羽生さんの話を思い出します。
羽生「若いうちは記憶力やひらめき、勢いで勝てるが
年をとると、そういうものが鈍ってくるので今までの経験でそれらをカバーして勝ちを目指す」
なるほどです
ちょっと違うかもしれませんが
将棋の羽生さんの話を思い出します。
羽生「若いうちは記憶力やひらめき、勢いで勝てるが
年をとると、そういうものが鈍ってくるので今までの経験でそれらをカバーして勝ちを目指す」

