2007年06月01日

もういちど観察を考える

本当は好きだったけど、素直になれなくて・・・
いつになってもそんな歌が流行るのはなぜなんだろう。

・・・いま悩んでいることは、そこまで哲学的なことでもない。
アンケートを行っていて、非常に悩むのである。

マーケティングでは、アンケートをよく行う。
いわゆる市場調査のひとつである。ありがちだが、有効な手法だと思う。
ただし、その限界に悩む。彼らが書いたその答えは、本当なのか。
「本当は○○だったけど、素直になれなかったり」しているのではないだろうか。

アンケートだから、もちろん言葉(文字)で回答が来る。
しかし、言葉でモノを伝えることほど、真意が減衰する手法もない。

自分から言葉を使ってものを伝えるときには、たぶんこんな道を通る。

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思う・感じる(真意)

自意識・場の空気・文脈の壁

自分の言語表現力の壁

言語自体の表現力の限界の壁

相手の解釈能力の壁

相手の自意識・場の空気・文脈の壁

相手が思う・感じる
----------------------

なんて厚い壁だろう。
こんなに壁が多くて、伝わっているほうがむしろ奇跡だ。

アンケートにおいては、さらにまずい問題がある。
「○○を買いますか?」とかいう質問を投げると、あいだに「想像力の壁」が入る。
「どんな商品が欲しいですか?」という質問だと、さらに「創造力の壁」まで入る。
そこから、確かな何かが返ってくると期待するほうがおかしい。

真意を知るにはどうしたらいいのだろう。
原始的だが、言葉だけではなく、行動や、客観的事実を信じるしかない。
つまり、過去の行動やその結果、その蓄積によるストーリーを信じる。
いかんせん壁や減衰はあれど、言葉よりはよほど少ない。

子供が真実を掴むことがあるのは、場の空気を読めず、文脈を読めず、
さらには言葉に頼るほど言語力がないからかもしれない。
彼らは、そこにある事実と、行動からモノを判断する。

相手の心を捉えたり、読んだりするのがうまい人の行動を見ていると、
彼らは相手の発言(言葉)だけに頼らず、行動や表情をよく見ている。
自然に出る表情や行動は、相手の根っこにある「思う・感じる」ことに、より近い。

彼女に、「今週末、どこか行きたい?」と聞く。
彼女の顔は、実はちょっとゆがんでいる。しかし、気づかない。
パソコンのモニタを見ているんだから、彼女の行動はわからない。
そして私は彼女の「言葉だけを」解釈する。「う〜ん、どこでもいいよ」

それで、本当に、適当に決めたらアウトだ。

なぜ彼女はきのう髪を切ったのか。
なぜ彼女が、いつもと違って自分から今週末のことを言い出さなかったのか。
なぜ彼女がちょっと表情をゆがませたのか。
それを先に考えるべきなのだろう。

複雑な事情から発せられて、表現力の壁を通過して、
それを自分が解釈した後の、変容しきった言葉はあまりに頼りない。

私が好きな、洞察力のある先輩は、言葉から始めない。
彼は、観察する。とにかく、いろいろな角度から観察する。
そこから「なぜ?」を育てる。思い至ってはじめて、言葉を聞く。

コミュニケーションの限界なんて話は、いままで何度も片付けれられてきた問題だ。
だったら、なんでいまだに「本当は好きだったけれど」なんて歌が出続けるのか。
プライベートでも、仕事でも、私はもういちど「観察」から出直すべきなのだ。

koukokugyokai at 02:10 │Comments(6)TrackBack(0)

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この記事へのコメント

1. Posted by yu    2007年06月01日 09:58
5 いつもおもしろく拝見させて頂いてます。様々な
疑問は共感する部分も多くって(^^)自分の気持ちを代弁してくれる歌は、どれも似たり寄ったりの言葉の表現で曖昧でいつまで経っても同じですよね。ふとした行動は人の本当のところを表してるのでしょうね。ちゃんと観察して好きな人の気持ちもさりげなく察してあげられたらいいな〜、なんて思っちゃいました。
2. Posted by takupe    2007年06月01日 10:12
共感しています。
つまりこの"共感"を言葉にして頂いたのがこのエントリーだと思います。日々実践しています。

しかしそれでも届かない伝わらないこともあるなかで思うのは、観察の結果を自分(の理解できる範疇)に引き込んで理解したつもりになっていたり「分からない」と思ったりしていないか、ということです。

冒頭のアンケートの話で言えば、対象に直接アンケートするのは仰るとおりはなはだ無意味で、むしろ対象の周辺環境を、あるいは全く関係の無いところを観察して商品やムードを創り出すべきだと考えています。

そもそも、対象の欲しがる商品を作るのではなく、対象が知らなかったものを提供するのが理想かなと。
3. Posted by 著者    2007年06月04日 08:12
>yuさん
こんにちは、観察をおろそかにして言葉尻をとらえるというのは、ある種の怠慢だと思うんですね。逆に、言葉に表れない本音の部分を捉えられると、相手としても「よく見ていてくれるんだなあ」と思うのではないでしょうか。なかなか難しいですが・・・
4. Posted by 著者    2007年06月04日 08:15
>takupeさん
どうもです。観察が自分の理解の限界に入ってしまうというお話は、確かに深い問題です。これは解釈のやり方になってくると思うのですが、ここの洞察力のハードルは正直高いと思います。だからこそ、明示的で、最低限のレベルは保てる(=言い訳の効く)「言葉」が偏重されてくるのだとは思います。易きに流れたくはないですが・・・
それと、やはりおっしゃるとおり、知らなかったものを作ることが重要で、観察もそこまで深くないといけない。それは観察だけでは完結せず、人間そのものへの深い理解が必要だと痛感します。
5. Posted by casper    2007年09月11日 09:41
あたまいいですね。いつも関心して読ませていただいております。
とおばかな私にいわれてもうれしくないとは思いますが、、、。
私はとても目がいいです。うぶげの生えかた、毛穴の奥の汚れが見えるほどです。あまりにクローズアップでものを観察するので観察対象本体がいったい何であったか時々忘れてしまうほどです。
本質を見極めようとデテイルにこだわると輪郭がぼやける。逆にデテイルをおろそかにするとどれも同じに見えてくる。適度なフォーカスが必要ですね。フライデーでもいいかもしれません。フラッシュ?
6. Posted by 著者(広告β)    2007年09月12日 01:38
>casperさん
少し前のエントリにもかかわらずコメントいただきありがとうございます。
フォーカスのレベルというのはとても重要な話と思います。
視点の持ち方と深く関連するのだと思いますが、フォーカスレベルを自由に行き来できることがある種の突破につながるのではないかと考えています。
没頭しつつ、それを突き放すような離れた目線を持ちたいと思うのですが、なかなか私はうまくいきません。

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