2007年09月05日

失敗しなければ、成功するだろうか

本「CONTENT'S FUTURE」を読んだ。
いろいろと面白い観点が落ちていたのだが、特に気になったのはここ。
また昔はレコード会社にも名物プロデューサーっていう人がたくさんいて。豪傑みたいな人が。「ここで欠損を出してもこっちでカバーしたからいいだろ!」みたいな。そういう人はもう今のレコード会社にはいないですから、構造的にシュリンクせざるを得ないんじゃないかと。
(126p、椎名氏)
広告もコンテンツ的要素を持っているし、実際、広告会社がコンテンツがらみの仕事を
することもあったりするのだが、どこからも同じような声が聞こえてくる。
それは、なんというか、コンテンツ屋さんの恐磋の声みたいなものだ。
広告会社のクリエイターも、同じようなことを言うことが多い。

コンテンツビジネスは読みにくい。
よくあるパターンは、あるコンテンツ分野が注目を集めると、お金を持った人が
続々やってきて、マーケティング手法を使って最適化していく方法だ。

マーケティングの解釈はいろいろあるだろうが、ごく単純に述べてしまうと
「定義して、分割して、比較して」、優先順位をつけて投資するということになる。
厳密に物事を見て、予測可能性を高め、成功確率を高めようとする。

それでどうなるかというと、上記のような声が聞こえてくる。
「お前らのその予測可能性というのは、当てる方法じゃないだろ!」

だが、マーケティングは間違いである、というほど簡単でもない。そこが難しい。
とはいえ、それが当てるための方法ではなく、外さないための方法であり、
「当てる」ことと「外さない」ことは、イコールどころか、まったく別のことに思えてくる。

失敗回避条件を次々に作り、その交点を探っていけば
確率的に失敗は少なくなっていくだろうけれども、それは結局
成功のレベルを下げていくだけ・・・そんな場合があるのではないか。

ある種のゲームは、「失敗しないこと」がほとんど「成功」に同じ、
ということもあるだろう。受験などは、それに近いかもしれない。
または、静的なルールで戦うものであれば、その複雑さはあるにせよ、
原理的には負けない方法=勝つ方法になるのかもしれない。
コンテンツビジネスって構造的にギャンブル性が強いものなのに、今の音楽業界はできるだけギャンブル性を低くして、掛け率が低いところしか見てない感じがするんですね。(中略)リスナーは、そういう状況を見透かしているような気がしますね。(126p、津田氏)
コンテンツがどうだこうだとは、お題目として最近聞くようにはなってきたが、
この「成功すること」と「失敗しないこと」の間にある深い溝をどう埋めるかが
焦点になってくるのではないか、そういう気がしている。

これは別に、「失敗を恐れずリスクをとってトライしろ!」という類の議論ではない。
それは単に、ギャンブルだからある程度あきらめようよ、になってしまう。
結局そういう結論なのかもしれないが、それでは許されない気もする。

経営や、商品開発でもそうなのかもしれないが、
全戦全勝ということはめったにない。勝率の高い人はいるが、常勝ではない。
よく見ると、細かく負けているし、それを隠していたりする。
ひとつの観点は、負けを「小さい負け」で収められるかどうかだと思う。負けをなくすことではない。
今後目指すべきは、「興行的に損益分岐点を超える見込みのあるものを作る」ではなく「なるべく損益分岐点を下げ、作りたいものを作らせる」方がいいのかも知れない。(404 Blog Not Found−書評食う獣も好きずき
このように損益分岐点を下げるというのはひとつのアプローチとして有望だと思う。

そして、これ以外にもヒントはあると考える。

非常に慎重に考えなければいけないことなのだが、ある種の事柄は、
ある程度「ざっくり」せざるを得ないことがある。ざっくりした中には、当然ながら
失敗してしまうものもある。しかし、トータルで見て、大きく勝つこともある。

これを、失敗ゼロを目指して最適化していくと、どこかの段階で
「失敗はしないけれども、成功もしない」というところに来てしまう。
それは、最適化するコストと時間がかかりすぎている・・・とは別の話だ。
だが、さらに重要なのは、すべてのエンジニアが20%の時間を自分が重要だと思うプロジェクトに費やせるという「20%ルール」だ。「研究者だけに与えられた特権ではなく、すべてのエンジニアに期待されていること」だとマグラス氏は言う。(「情報の爆発は止まらない」--“20%ルール”で進化するグーグル
これはひとつの「ざっくり」の目安と考えられるだろう。
この20%、厳密な計算の結果とは思えないが、本質的にそういうものなのではないか。

コンテンツの未来は、どの程度のざっくりまでを構造的に許すか、
というところにかかっている気がする。そして現在は、ざっくりがどうも足りない。

いまでもそうなのかどうかよくわからないが、テレビ番組制作においては
深夜番組をある程度好きに作らせてもらって、よくできたものをゴールデンに
もって行く、というサイクルがあった。
これは損益分岐点のアプローチ、20%のアプローチの両方があると思う。

損益分岐点を下げていくこと、ブラックボックスである「ざっくり」を許容すること。
このあたりが、コンテンツの今後を占うかもしれないと思っている。

koukokugyokai at 02:42 │Comments(3)TrackBack(0)

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by サラダ    2007年09月07日 21:28
5 大変興味深く拝見しました。こういう考察は面白いですね!

最後の深夜番組のまとめも、的を得ていて頭の中がスッキリしました。
2. Posted by hal    2007年12月13日 13:39
5 はじめまして。
「20%」の根拠は「パレートの法則」ってとこなんですかね。
興味惹かれますね。
3. Posted by 著者(広告β)    2007年12月14日 02:39
>サラダさん
遅ればせながらコメントありがとうございます。何かのヒントになりましたら幸いです。

>halさん
はじめまして。私は、この部分を考えていて「あそび」を思い出しました。自動車のハンドルで、回しても反応しない、あの「あそび」の部分です。生命体の仕組みは奥深く、いわゆるデジタルのような0101の世界にはなっていないと思います。それと、デジタルな組織やデジタルな制度との折り合いをどうつけるか。意外なところにヒントがありそうな気がします。もしかしたら、それはパレートの法則かもしれませんね。

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔