2007年12月13日

ブランドの裏には、知性ある消費者がいる

先日、ある問いをめぐって、ちょっとした盛り上がりがあった。
「私と仕事、どっちが大切なの?」にどう返すか。

最悪の答えは、黙って抱擁したり、話をそらすことだという。
次にダメなのは、「仕事」と即答すること。(やってしまいそうだ)
「そういう問題ではない」は賢い答えらしいが、それでもだめなようだ。
では「もちろんお前(あなた)だよ」はどうか。まだイマイチらしい。

ある女性が出した解は、「そんなこと言わせてごめんね+抱擁」らしい。
もちろん異論はあるだろうが、なるほど、と私は思った。
そこには、メッセージそのものではなく、それを発する姿勢への目線がある。

われわれはコミュニケーションをとる際に、メッセージそのものとともに、
そのメッセージが発せられた文脈、発信者が別の機会や状況において
どのようなメッセージを出しているのか、といった背後の情報を加味して
相手に対する総合的な判断を行う。人間には、それだけの知性がある。

いわゆる「メッセージ」を直接には発していないもの、つまり商品や企業体でも同じだ。
商品というのは、企業が無数の判断を重ねて作り上げたもの。
その背後には判断があり、判断を生み出した姿勢がある。
消費者は商品を見ながらも、背後にある姿勢について無意識の判断をしている。

Googleはブランド力があると何かの調査で見たが、Googleが広告などを通じて
何かのメッセージを発する機会を見たことはそれほどない。
かといって、公的なGoogleの理念を見たことがある人も多くないだろう。
それでもブランドイメージらしきものがあるのは、Googleのインタフェースや、その
アルゴリズムを通して、人々がGoogleの姿勢を読み取っているからである。

我々は目の前のモノ・コトだけを見ているのではない。
モノ・コトを通して、それを生み出したヒトを判断している。
口先だけのコミュニケーションが失敗するのは、その口先を通して、人々が
発信者のことを判断する知性を持つ存在だということを忘れているからなのだろう。

だから、ブランドにおいて重要なのはマークや模様だけではない。
極端にいえば、それは「人々が感じ取った姿勢の総体」を固定する記号でしかない。
感じ取れる姿勢と、それを紐づける記号性さえあれば、なんだってブランドになりうる。
たとえば亀山工場。

吉野家の件も何がよくないって、新聞に“処分”っていうキーワードが踊ること、だと思う。「テラ豚丼」自体がブランドの失墜というわけではなく、「そんなことでバイトを処分する会社」というラベリングがされてしまうことのほうが危険で、その点でPRリスクを想定しなかったのだろうか。(mediologic
ブランドということに関して、これは非常に示唆のある視点だと思う。

悪ふざけするような人を雇ってしまうという「姿勢」が透けて見えれば、
ある程度ブランドには悪影響があるかもしれない。
しかしそれ以上にブランドに影響するのは、より強く姿勢が透けて見えるところ、
つまり、やらかしてしまった従業員への対応、である。

人々は、企業がらみの事件に注目しているが、その対応にも注目する。
事件そのものは、不可抗力や事故の可能性もある。
しかし、事件への「対応」は不可抗力や事故ではありえない。
経営トップ層が関与する「事故対応」は、ブランドを判断するのに
格好の材料になる。加えてスピードが要求されるから、小手先の先延ばしも
難しい。事故対応は、ブランド認識における格好のショーケースだ。
ピンチの際に、その人の本質がよく見えるのと同じように。

ブランド論はいろいろなところで語られるし、口コミブランディングなどといって
結局のところ似非口コミでコントロールをかけるなどといった浅薄な議論もある。
しかしそうではなく、そういう諸々の企業活動を消費者が読み取った結果がブランドだ。
似非口コミをやれば、「似非口コミをやるような会社」というブランドができる。
消費者の知性をなめてかかる企業が、ブランドを存続させるのは難しい。
そこには「そんなこと言わせてごめんね+抱擁」という読みができるほどの、
知性ある消費者がいるのだから。

koukokugyokai at 03:12 │Comments(5)TrackBack(1)

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1. メッセージ  [ 名言で読む「はてな」 ]   2007年12月14日 22:02
そこには、メッセージそのものではなく、それを発する姿勢への目線がある。 広告β:ブランドの裏には、知性ある消費者がいる

この記事へのコメント

1. Posted by ムサシ    2007年12月13日 04:34
はじめまして、広告βファンの大学生です。

人間って「構造」を知りたがりますよね。
あの発言とあの人間性は整合するなとか。

構造を知りたい理由を考えていて思ったんですが、
人間って、発言や商品といった具体的な情報と、
人間性や企業理念といった抽象的な情報とを、
バランス良く保持してないと気が済まない、
というバランス感覚があるような気がします。

自社に対して顧客が持っている情報の抽象度
みたいなものを分析できる枠組みがあったら
面白いなと思いました。
2. Posted by 著者(広告β)    2007年12月14日 02:34
>ムサシさん
こんにちは。大学生の方にも読んでいただいて、光栄です。
私の興味の方向は、広告だけではなく、厳密にはその先にある「人間」です。人は何をどう感じるのか。そしてそれにどう喜びを覚えるのか。変わり続ける環境に人はどういうふうに反応するのか。そういうことです。
それを思うに、人間の持つ第六感的な知性は、非常に重要なことです。企業では、明解に述べられること、定量化されることが大切にされます。しかしそれは言い訳の技術に過ぎません。
広告会社に限らず、非定量的、境界的な領域を扱う集団は、そこをどう評価するかということに腐心しています。おっしゃるような、顧客の認知レイヤーごとの情報整理など、いろいろトライしているものです。あまり外には出ないのですが。
そこがおもしろさでもあるのですね。
3. Posted by joshua    2007年12月19日 16:35
メッセージではなく、姿勢の総体を生活者は見ているというのは賛同するのですが、
生活者が、その姿勢をどのように解釈するかの部分への言及も必要なのではと思いました。(おそらく広告βさんはそれを前提に書かれているのだと思いますが。)
処分という姿勢がブランドを左右すると書かれていますが、処分という姿勢がなぜ失墜に繋がりかねないのかがブランドを考える上で必要になると思います。この例では、吉野家の利用者が、おおよそ日常での生活で処分を執行する側でないことがポイントで。
企業(商品)の姿勢を見る際、印象は自分と企業(商品)の関係性で変わります。つまり、(メッセージではなく)姿勢で人は関係性を推測するうえ、その推測された姿がブランドなんだと考えたほうが易しいんじゃないでしょうか。逆に、関係性を推測するわけだから、メッセージではなくて、姿勢を見ると考えられるかもしれないとも思いました。
4. Posted by 著者(広告β)    2007年12月22日 03:39
>joshuaさん
そうですね。エントリで私が主眼においたのは、人は背後の姿勢を読み取る=ブランド認識ということと、それを可能にする人間の知性、そしてそれを信頼すること、ということでした。
そして一歩議論を進めたときに、その姿勢というのは関係性から導かれるものであり、その際に視点の位置がどこにあるかというのがポイントだというのは確かです。
私が世のブランド論で歯がゆく感じるのは、ブランドというのは消費者と企業、どちらにとっても利用価値があり、横断的な要素が多いために「○○だ!」と定義しにくいこと、工学的見地で「どう作るか?」を詰めていない場合が多いことです。
これからも助言をいただけますと助かります。
5. Posted by うかる〜る・おかもと    2007年12月27日 19:20
はじめまして。

ひょんなことから、こちらへとたどり着きました。
千葉で小さな塾をゆるゆると営んでいる、おかもとと申します。

実は私も若かりし頃に、広告業界で働いていたことがあります。
広告βさんのお話は大変面白く、かつお勉強になるなぁと感じましたので、リンクさせていただきたく存じます。

それにしても読み応えのある記事が多いので、これからじっくりと読ませていただきたいと思っております。

唐突に、お邪魔いたしました。



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