2008年04月14日

ネットサービスの普及と翻訳、強引モデル

ネット上を徘徊して定期的に目に入るトピックスとして、サービスの普及についての文章がある。とりわけネット上ではネットサービス、たとえばRSSやソーシャルブックマーク(SBM)などが話題になる。曰く、「なぜ一般普及しないのか?」

もちろん、ニーズがない=そこで提供される価値を多くの人が欲していない、ということはある。本質的にそこに壁があって、どうしようもないということも確かにあるのだろう。ただ、それを論じるにはまだ早いという気がしなくもない。思うに、この問題の一つのカギは「翻訳の仕方(あるいは、翻訳を誰がするのか)」である。

おおざっぱに言って、人間は新しいものを既存の枠組みを利用することで理解しようとする。すでにある、似ている何かを通じて理解するのが早いからだ。これは偏見を生んだり、誤りを生んだりするけれども、なによりもスピードが速いし、既存の文脈で理解できることは本人にとって非常に楽だし、安心を生む。

機械音痴という言葉がある。なぜ機械音痴はうまれるか。彼らは機械に共通するある種のパターンを把握していない。機械が得意な人だって、生まれつき機械をわかっているわけではない。機械(とその設計)に共通する、いくつかの振る舞いを把握しているので、精度の高い操作仮説が出せるということだ。単純なところで言えば「電源は緑ボタン、録音録画は赤ボタン」など。

サービスの普及に関しても似たところがある。既存のパターンでいかに理解してもらうか。そのためには翻訳が必要になる。どう翻訳するか。それを誰がするのか。

たとえばブログ。日本人はブログをよく書くらしいのだが、その普及においてmixiの果たした貢献は大きいと考える。そのとき、mixiの勝利は交換日記のフレームでブログを理解させたことだと思う。ブログという概念をそのまま構造的に説明しても、多くの人にとってはよくわからないものだ。そして大変重要なことは、多くの人は「なんだかわからない構造の説明から、それが自分にとってどう役立つか、どう使って楽しむかを想像するほどヒマでない」ことである。みんながそんなに知的好奇心旺盛なら広告なんて要らない。

ただしブログに関しては、実際は全世界に公開されうるわけだから、「本当は」交換日記という例え方はちょっと違う。最近ネット上において「(ブログとは)公園で演説することに近い」というたとえを見つけたが、まあ本当はこういうことに近いかもしれない。でも、もしこういう例え方で広めようとすると、普及率はグッと下がるだろう。交換日記を書くのはやぶさかでなくても、公園で演説したい人はそう多くないからだ。

携帯電話もそうだ。どこかのブログで、「携帯電話のネーミングは素晴らしい。これをトランシーバーと最初に名乗っていたら違っただろう」という趣旨の記事があったが、その通りだと思う。いまや携帯電話は電話の機能がオマケになりつつあり、ネーミング云々の段階を超えているが、普及初期においてはこういうことが大きな影響をもたらす。

iPodは革新的な製品だ。しかし、この製品の普及にはウォークマンの力が大きい。「音楽を貯めておいて、出先で聞けること、それは楽しいこと」という概念はウォークマンによって構築された概念だ。たしかにiPodの「Pod」はそこを表現してはいるが、もしウォークマンが以前になかったら、そのコンセプトを理解するために多くの翻訳コストを必要としたことだろう。

良いものであれば必ずしも売れるわけじゃないし、いいことであれば自然に伝わるわけではない。もちろん大ざっぱにそういう傾向はあるし、長期的にそうなる可能性はある。しかし企業社会で起きていることは、すぐに結果の見通しが出なければ却下や廃止の憂き目を見させられる意志決定システム、そしてちょっとでもいいものを見つければ類似品を出して全力で広告展開を仕掛ける競合メーカーである。そしてなにより一般消費者は、新しいものを自前で翻訳することがあまりない。

翻訳が生み出す「コミュニケーションのスピードの速さ」は重要である。紹介した翻訳の事例は、サービス構造や利用の仕方を説明したものだが、単にそれが「価値あるもの」だとういうだけの翻訳も、力技だができなくはない。アメブロが芸能人ブログを大量に生み出したのはこういう文脈だと思う。ネット上ではあまり見かけないが、とかく芸能人というのは侮れない。彼らの影響力は大きい。「芸能人の○○が使っている」ただそれだけでいいというスピードの速さ。

話をもどして、RSSやソーシャルブックマーク。仮にこれらのサービスに対して「本質的なニーズ(潜在ニーズ)」はあったとして、普及率を高めるにはどうしたらよいか?ひとつは、前述のようにうまく翻訳することだ。すでに、各社が色々試した形跡はある。ブックマークという名称自体が「しおり」だし、「クリップ」という名称をつけている会社もある。だが個人的には、正直言ってこの二つのサービスは翻訳しにくい。ブックマークなら「本棚」「投票」「スクラップブック」、RSSなら「郵便受け」などが思いつくが、これではまだ甘いと思う。凄腕コピーライターの意見を聞きたいところだ。

色々考えた結果、翻訳ができないものもあるだろう。しかしだからといって「ニーズがない=普及しない」というのもまだ早い。だいたい、そもそもが「インターネット」は、うまい翻訳が浮かばないツールの一つだ。
インターネットが技術者や専門家ではなく一般に利用される機会が増えるにしたがって、インターネット上の一機能であるWorld Wide Web(さらにはウェブページやウェブサイト)のことを指して「インターネット」「インターネッツ」と呼ぶ誤用が世界的に広まっている(英語版Wikipediaほか他の言語版のWikipediaを参照のこと)。また、「インターネット」という語をインターネットへの接続権(プロバイダとの契約)や接続に必要なパソコンやルーターなどといった機器・設備などの名称と誤解している例もあり、「インターネットを買った」「どこのインターネットにする?」「インターネットが壊れた」といった誤用もまれに見られる。Microsoft社製のウェブブラウザの名称がInternetExplorerであるため、インターネット上に存在するウェブページを見るためのツールを「インターネット」と呼ぶ誤用はよく見られる。一般的には、「ウェブブラウザ」と言うよりも「インターネット」と呼ぶほうが伝わる。(インターネット - Wikipedia

ここに挙げたのは、インターネットに関する「よくある誤用」である。これを見て「バッカでえ」というのは簡単だが、この文が示すのは、インターネットを従来の文脈上でなんとか把握しようとして(自分で翻訳しようとして)失敗している人々の姿だ。もちろん今なら、インターネットはそれ以外のものに例えなくても「インターネット」それ自体として理解されるだろう。しかし普及期には、こういうことが起こる。

翻訳の話から外れていくが、インターネットはその普及時期において、学校や会社にあるPCの力が大きかったと思う。こういうある種、強引に人を引き込む機会があったからこそ、翻訳ができず、概念的に難しい「インターネット」が普及していったのだろう。使えば便利、それは確かだとしても、ある程度暴力的に使ってもらう機会がなければいけない。

いい加減、文章が長くなってつらくなってきたので簡単にまとめたいが、RSSやソーシャルブックマークに限定していうならば、本質的なネックは翻訳の難しさに加え「極度に個人ツールであること」と思う。このブログを読んでいただいている方にとっては「またか」な結論かもしれないが、個人で完結するものは普及しづらいのである。これらのツールは、出力はソーシャル=共有されうるものなのかもしれないが、入力作業は個人的な動機がもとになっている。この個人性が難しい。

ヒントとしてパッと思いつくのは、「プロフ」である。プロフは、個人を反映させたものながら、コミュニケーションツールである。あるいは奇策として、企業研修や学校の授業にまず導入するというもあり得るかも知れない。インターネットと同じ普及モデルを探るのである。とにかく、翻訳が難しいなら、何らかの縛りをかけて強引に普及させるしかない。本当にそれが価値のあるものならば、だが。

今後もいろいろと新しいサービスはネットで生まれてくるだろうが、翻訳を誰がどうやってするのか、翻訳が容易でない場合の強引普及のコストとモデルをきちんと考えているのかどうかがポイントになるかもしれない。

koukokugyokai at 01:04 │Comments(0)TrackBack(0)マーケティング戦略系 
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