2008年06月22日
分析の続きにアイデアがあるか
多くの広告代理店のプレゼンは課題抽出からはじまり、最終的にはプランや広告アイデアを説明する流れになっている。プレゼン上はこれらが流れるように進んでいくのだが、思考の流れはどうかというと、そんなにリニアなものではなく、実作業においては途中に大きな「溝」があり、それを超える必要がある。それを人によっては「クリエイティブ・ジャンプ」と呼んだりする。
有名な広告デザイナーの講習など受けていると、聞いていて「思考の道筋はわかるのだが、なぜそれを思いついたのか?」という事例などによくぶち当たる。なぜ思いついたのですか?と聞いても仕方がない。思いついたから思いついたのだ、ということになってしまう。別にそのデザイナーがコツの出し惜しみをしているわけではなくて、そこには立ち戻れない溝があるということだと思う。
課題を解決しようとするときには、どこを解決すればよいか?という視点で、問題点を洗い出したりする。人によっては、それを階層構造で分けたり、因果関係で再構築したりして、問題を構造化して整理したりする。まるでピラミッドを積み上げるがごとく、一つ一つ問題が積み上がっていく。そして全体の構造がクリアになってきて、「これを解決すればクリアだ」ということが、いくつかの要素あるいはいくつかの道筋で示されたりする。しかし、アイデアが出たかというと、それはそれでまた別問題になってくる。
課題という石ころをひとつひとつひっくり返していっても、そこに突破のためのアイデアは見つからないことが多い。たとえば消費者調査をやって不満点を洗い出し、一つ一つつぶしていくようなアプローチは、ある一定以上のレベルではつぎはぎだらけの張りぼてのようなものとなり、そのうち相互に矛盾をきたすようにさえなってくる。
かくいう私も、過去に思い当たる経験がある。自分の所属している部署の問題点とその構造をさんざん上司に語った上で、「ではおまえはどうするのがいいと思うのだ」と問われ、黙ってしまったのである(それを考えるのがあなたの仕事だろ、と逆ギレしそうになったが)。個人的な不満を起点に行動するとよく陥りがちな罠だとは思うが、そうでなかったとしても問題点からそのままアイデアが出てきたかというと微妙なところだ。
分析屋さん・批評屋さんは必ずしもクリエイターではないし、この二つは連続してもいないのだろう。この二つの職業は、直線では結ばれず、かなり遠いところにある。クリエイターになりたくて、その課程で批評家になるというコースはたまに見かけるが、職能としては全く別個のものだと思う。そこを間違えると、批評家としては大成するかもしれないけれども、クリエイター(アイデアを出す人)にはならないまま、ということもありうるだろう。本人が良ければそれはそれでいいのだが。
ところで広告にはカンヌ広告祭というのがあり、世界レベルで優れた広告を選ぼうという趣旨で、毎年いろいろな広告が選ばれている。部門はいくつかあるのだが、今年のメディア部門のグランプリを例に考えてみる。
ケータイから自分の顔の画像を送る。すると、年老いた自分の顔が加工されて戻ってくる。何のキャンペーンかというと、年金のキャンペーンなのである。年老いた自分を想像することで、年金の問題を自分(とくに若者)に引きつけて考えてもらうことを主眼としている。たぶん技術者からすれば「なんだそんなことか」ということかもしれないし、仕組みだけみれば、よくある占いコンテンツと大きくは変わらない。しかし問題は、もし「若者に年金をアピールするプランを」とオリエンされたときに、このアイデアが出るかどうかである。
当然、オリエンを受ければ、若者の年金感だとか、年金制度の問題点だとか、色々分析のしようはあるだろう。その過程でアンケートをとるかもしれないし、そこでは「年金が身近に感じられない」といった課題が抽出されるかもしれない。分析行為である。で、身近に感じてもらう、感じてもらう・・・というところでおそらくいったん行き詰まる。
ここから先は、順列組み合わせではないが、めぼしいアイデアを探しに行く作業になる。探しに行く先は自分の記憶もそうだし、周りに落ちているネタも探しに行かなければいけない。「若者と年金を結ぶアイデア・・」と唱えながら、その視点ですべての記憶や風景をサーチする。それは、若者分析や年金分析といったものとはまったく異なる作業になる。ゼロから探し始めても途方に暮れてしまうだろう。そのためには、普段から目の前の風景を「アイデアの種」として取り込んでおく必要がある。将来なにに使われるのかはわからないが、ある程度の、ある角度から抽象化したネタとして自分の中に昇華しておくこと。それをするかしないかが、クリエイターか否かを分けると思われる。
そのあたりのヒントは、優れたクリエイターのエピソードからうかがえる。まずは任天堂の宮本氏。
もうひとつ、孫引きになってしまうのだが、デザイナーの奥山氏。
ひどく大ざっぱにいうと、彼らは、「どんな問題点に対してどんなアイデアが適用され、その結果どういう解決をもたらしたか」ということを普段からずっと観察し続けているのだろう。それが、いざ仕事となったときに、脳の中で編集されて適用される。その過程には無意識のブラックボックスがあるのだろうが、いずれにせよ最初のインプットがないとはじまらない。アイデア出しは(仕事のオリエンを受けて)分析から始まるプロセスではなく、普段から観察し、編集し続ける一つの姿勢であるようだ。アイデアは一日にして成らず、かもしれない。
有名な広告デザイナーの講習など受けていると、聞いていて「思考の道筋はわかるのだが、なぜそれを思いついたのか?」という事例などによくぶち当たる。なぜ思いついたのですか?と聞いても仕方がない。思いついたから思いついたのだ、ということになってしまう。別にそのデザイナーがコツの出し惜しみをしているわけではなくて、そこには立ち戻れない溝があるということだと思う。
課題を解決しようとするときには、どこを解決すればよいか?という視点で、問題点を洗い出したりする。人によっては、それを階層構造で分けたり、因果関係で再構築したりして、問題を構造化して整理したりする。まるでピラミッドを積み上げるがごとく、一つ一つ問題が積み上がっていく。そして全体の構造がクリアになってきて、「これを解決すればクリアだ」ということが、いくつかの要素あるいはいくつかの道筋で示されたりする。しかし、アイデアが出たかというと、それはそれでまた別問題になってくる。
課題という石ころをひとつひとつひっくり返していっても、そこに突破のためのアイデアは見つからないことが多い。たとえば消費者調査をやって不満点を洗い出し、一つ一つつぶしていくようなアプローチは、ある一定以上のレベルではつぎはぎだらけの張りぼてのようなものとなり、そのうち相互に矛盾をきたすようにさえなってくる。
かくいう私も、過去に思い当たる経験がある。自分の所属している部署の問題点とその構造をさんざん上司に語った上で、「ではおまえはどうするのがいいと思うのだ」と問われ、黙ってしまったのである(それを考えるのがあなたの仕事だろ、と逆ギレしそうになったが)。個人的な不満を起点に行動するとよく陥りがちな罠だとは思うが、そうでなかったとしても問題点からそのままアイデアが出てきたかというと微妙なところだ。
分析屋さん・批評屋さんは必ずしもクリエイターではないし、この二つは連続してもいないのだろう。この二つの職業は、直線では結ばれず、かなり遠いところにある。クリエイターになりたくて、その課程で批評家になるというコースはたまに見かけるが、職能としては全く別個のものだと思う。そこを間違えると、批評家としては大成するかもしれないけれども、クリエイター(アイデアを出す人)にはならないまま、ということもありうるだろう。本人が良ければそれはそれでいいのだが。
ところで広告にはカンヌ広告祭というのがあり、世界レベルで優れた広告を選ぼうという趣旨で、毎年いろいろな広告が選ばれている。部門はいくつかあるのだが、今年のメディア部門のグランプリを例に考えてみる。
ケータイから自分の顔の画像を送る。すると、年老いた自分の顔が加工されて戻ってくる。何のキャンペーンかというと、年金のキャンペーンなのである。年老いた自分を想像することで、年金の問題を自分(とくに若者)に引きつけて考えてもらうことを主眼としている。たぶん技術者からすれば「なんだそんなことか」ということかもしれないし、仕組みだけみれば、よくある占いコンテンツと大きくは変わらない。しかし問題は、もし「若者に年金をアピールするプランを」とオリエンされたときに、このアイデアが出るかどうかである。
当然、オリエンを受ければ、若者の年金感だとか、年金制度の問題点だとか、色々分析のしようはあるだろう。その過程でアンケートをとるかもしれないし、そこでは「年金が身近に感じられない」といった課題が抽出されるかもしれない。分析行為である。で、身近に感じてもらう、感じてもらう・・・というところでおそらくいったん行き詰まる。
ここから先は、順列組み合わせではないが、めぼしいアイデアを探しに行く作業になる。探しに行く先は自分の記憶もそうだし、周りに落ちているネタも探しに行かなければいけない。「若者と年金を結ぶアイデア・・」と唱えながら、その視点ですべての記憶や風景をサーチする。それは、若者分析や年金分析といったものとはまったく異なる作業になる。ゼロから探し始めても途方に暮れてしまうだろう。そのためには、普段から目の前の風景を「アイデアの種」として取り込んでおく必要がある。将来なにに使われるのかはわからないが、ある程度の、ある角度から抽象化したネタとして自分の中に昇華しておくこと。それをするかしないかが、クリエイターか否かを分けると思われる。
そのあたりのヒントは、優れたクリエイターのエピソードからうかがえる。まずは任天堂の宮本氏。
アイデアを出す会議などで、「この問題をどうしよう?」ということを話し合っているときに、当然いろんな人がいろんなこと言うんですけど、たいていそれは、ひとつの問題を解決するだけで、ほかの問題を解決させるわけではない。つまり、汗をかいた分しか前進しないんです。(中略)でも、ときどき、たったひとつのことをすると、あっちもよくなって、こっちもよくなって、さらに予想もしなかった問題まで解決する、というときがあるんですよ。そういう「ひとつのこと」を、宮本さんは「ないか、ないか」っていつも考えてるんです。ものすごくしつこく、延々と。
(アイデアというのはなにか?−ほぼ日刊イトイ新聞)
もうひとつ、孫引きになってしまうのだが、デザイナーの奥山氏。
僕らの商売には「ハレとケ」ではないが、2つのモードがある。1つめは「溜め」で、自分の中で材料を溜め込み、熟成し、並べ替える作業をしている。これは外から見ても知ることのできない部分で、一見何もしていないかのようだ。もう1つは「発散」で、一気阿成」にアウトプットするモードだ。絵を描き、シナリオを形にし、成果物として世に問う。人はこの部分だけを見て、仕事をしていると思うものだ。
(人生を決めた15分 創造の1/10000 - 情報考学 Passion For The Future)
ひどく大ざっぱにいうと、彼らは、「どんな問題点に対してどんなアイデアが適用され、その結果どういう解決をもたらしたか」ということを普段からずっと観察し続けているのだろう。それが、いざ仕事となったときに、脳の中で編集されて適用される。その過程には無意識のブラックボックスがあるのだろうが、いずれにせよ最初のインプットがないとはじまらない。アイデア出しは(仕事のオリエンを受けて)分析から始まるプロセスではなく、普段から観察し、編集し続ける一つの姿勢であるようだ。アイデアは一日にして成らず、かもしれない。
トラックバックURL
この記事へのトラックバック
1. アイデアの続きに、実現力はあるか [ アスメモ ] 2008年06月22日 22:21
分析の続きにアイデアがあるか
分析だけでなく、アイデアが必要ということです。
たしかに、そうです。
発想力、アイデアがあることは、問題解決や新しいことを実行する際に必要です。
そして、分析する際やアイデアを出す際には、フレームワークを知っておく....
2. アイデアと企画は違う、と思う。 [ コウコクデアソブ ] 2008年06月24日 23:56
広告βさんのエントリーにいたく感化され、
なるほどなるほどと思いながら筆を執る。
「分析の続きにアイデアがあるか」 -広告βさん
課題は、積み上げでは解決できないことは多々あり、
そのためには、ある程度「ぶっ飛んだ」アイデアが
必要だったりするのだが...
3. アイデアだけでは机上の空論。 [ 2年目コピーライター105のネタ帳。 ] 2008年06月25日 02:09
広告βさんのエントリー
「分析の続きにアイデアがあるか」
を拝読し、
トラックバックされていた
アスメモさん「アイデアの続きに、実現力はあるか」
コウコクデアソブさん「アイデアと企画は違う、と思う」
の2つを拝読した上で、最近思ったことを。
...
4. FW:分析の続きにアイデアがあるか [ ??同じ空の下?? ] 2008年06月25日 12:05
いつも読ませて頂いている広告β
さんのエントリー
がぶっ刺さりました
分析の続きにアイデアがあるか
アイデアは分析の延長線上では埋められない
最近、仕事をしている中でこのように潜在的に思う節がありました
僕自身、どちらかと言うとアイデ...
5. [雑感]アイディア [ ももたろん (遅延補正) ] 2008年07月07日 23:34
どうせ眠れないから勢いで書く。(仕事しろよ…) 広告βさんのエントリー「分析の続きにアイデアがあるか」とトラックバック・コメントを読んで、思ったことを少し。 まず広告βさんはこのエントリーでアイディア、発想の起源と効果、アイディアとはどういうものかについての
この記事へのコメント
1. Posted by jcurry
2008年06月27日 00:22
> かくいう私も、過去に思い当たる経験がある。自分の所属している部署の問題点とその構造をさんざん上司に語った上で、「ではおまえはどうするのがいいと思うのだ」と問われ、黙ってしまったのである。
あなたは問題を理解(分析)できていなかったのでは、ないでしょうか。問題の本質を理解していたのなら、問題点に対すアイディアなんて、いくらでも出てくるでしょ。"問題点とその構造をさんざん上司に語った" 程度は分析ではなく、下調べといいます。
下調べは、分析に使うアイテムを集める作業でしかすぎず、分析ではありません。分析もしていないのに、アイディアが生む出せるわけはありませんよね?
本当に残念です、とても楽しく読めるブログの一つだったのに。非常に浅く感じました。
2. Posted by 著者(広告β)
2008年06月27日 02:48
>jcurryさん
そうだと思いますね。当時は、結局個々の状況に対して利己的な観点から不満を持っていただけなわけで、それに適当な大義名分というか、後付けの理由をつけていただけでしょうね。
感覚的には、3つくらいの区分があると思います。ひとつは感情的な、利己的な反発に理屈をつけたもの。次に、冷静な分析。最後に、アイデア。当時は、最初の段階でとどまっていたということだと思います。そこと第二段階目、冷静な分析の間にも差があるのだと思います。エントリ自体の主題は二段階目と三段階目の区分にあるわけですが、一段階目と二段階目の間にも、差があると感じますね。
そうだと思いますね。当時は、結局個々の状況に対して利己的な観点から不満を持っていただけなわけで、それに適当な大義名分というか、後付けの理由をつけていただけでしょうね。
感覚的には、3つくらいの区分があると思います。ひとつは感情的な、利己的な反発に理屈をつけたもの。次に、冷静な分析。最後に、アイデア。当時は、最初の段階でとどまっていたということだと思います。そこと第二段階目、冷静な分析の間にも差があるのだと思います。エントリ自体の主題は二段階目と三段階目の区分にあるわけですが、一段階目と二段階目の間にも、差があると感じますね。

