クリエイティブ系

2008年06月22日

分析の続きにアイデアがあるか

多くの広告代理店のプレゼンは課題抽出からはじまり、最終的にはプランや広告アイデアを説明する流れになっている。プレゼン上はこれらが流れるように進んでいくのだが、思考の流れはどうかというと、そんなにリニアなものではなく、実作業においては途中に大きな「溝」があり、それを超える必要がある。それを人によっては「クリエイティブ・ジャンプ」と呼んだりする。

有名な広告デザイナーの講習など受けていると、聞いていて「思考の道筋はわかるのだが、なぜそれを思いついたのか?」という事例などによくぶち当たる。なぜ思いついたのですか?と聞いても仕方がない。思いついたから思いついたのだ、ということになってしまう。別にそのデザイナーがコツの出し惜しみをしているわけではなくて、そこには立ち戻れない溝があるということだと思う。

課題を解決しようとするときには、どこを解決すればよいか?という視点で、問題点を洗い出したりする。人によっては、それを階層構造で分けたり、因果関係で再構築したりして、問題を構造化して整理したりする。まるでピラミッドを積み上げるがごとく、一つ一つ問題が積み上がっていく。そして全体の構造がクリアになってきて、「これを解決すればクリアだ」ということが、いくつかの要素あるいはいくつかの道筋で示されたりする。しかし、アイデアが出たかというと、それはそれでまた別問題になってくる。

課題という石ころをひとつひとつひっくり返していっても、そこに突破のためのアイデアは見つからないことが多い。たとえば消費者調査をやって不満点を洗い出し、一つ一つつぶしていくようなアプローチは、ある一定以上のレベルではつぎはぎだらけの張りぼてのようなものとなり、そのうち相互に矛盾をきたすようにさえなってくる。

かくいう私も、過去に思い当たる経験がある。自分の所属している部署の問題点とその構造をさんざん上司に語った上で、「ではおまえはどうするのがいいと思うのだ」と問われ、黙ってしまったのである(それを考えるのがあなたの仕事だろ、と逆ギレしそうになったが)。個人的な不満を起点に行動するとよく陥りがちな罠だとは思うが、そうでなかったとしても問題点からそのままアイデアが出てきたかというと微妙なところだ。

分析屋さん・批評屋さんは必ずしもクリエイターではないし、この二つは連続してもいないのだろう。この二つの職業は、直線では結ばれず、かなり遠いところにある。クリエイターになりたくて、その課程で批評家になるというコースはたまに見かけるが、職能としては全く別個のものだと思う。そこを間違えると、批評家としては大成するかもしれないけれども、クリエイター(アイデアを出す人)にはならないまま、ということもありうるだろう。本人が良ければそれはそれでいいのだが。

ところで広告にはカンヌ広告祭というのがあり、世界レベルで優れた広告を選ぼうという趣旨で、毎年いろいろな広告が選ばれている。部門はいくつかあるのだが、今年のメディア部門のグランプリを例に考えてみる。

ケータイから自分の顔の画像を送る。すると、年老いた自分の顔が加工されて戻ってくる。何のキャンペーンかというと、年金のキャンペーンなのである。年老いた自分を想像することで、年金の問題を自分(とくに若者)に引きつけて考えてもらうことを主眼としている。たぶん技術者からすれば「なんだそんなことか」ということかもしれないし、仕組みだけみれば、よくある占いコンテンツと大きくは変わらない。しかし問題は、もし「若者に年金をアピールするプランを」とオリエンされたときに、このアイデアが出るかどうかである。

当然、オリエンを受ければ、若者の年金感だとか、年金制度の問題点だとか、色々分析のしようはあるだろう。その過程でアンケートをとるかもしれないし、そこでは「年金が身近に感じられない」といった課題が抽出されるかもしれない。分析行為である。で、身近に感じてもらう、感じてもらう・・・というところでおそらくいったん行き詰まる。

ここから先は、順列組み合わせではないが、めぼしいアイデアを探しに行く作業になる。探しに行く先は自分の記憶もそうだし、周りに落ちているネタも探しに行かなければいけない。「若者と年金を結ぶアイデア・・」と唱えながら、その視点ですべての記憶や風景をサーチする。それは、若者分析や年金分析といったものとはまったく異なる作業になる。ゼロから探し始めても途方に暮れてしまうだろう。そのためには、普段から目の前の風景を「アイデアの種」として取り込んでおく必要がある。将来なにに使われるのかはわからないが、ある程度の、ある角度から抽象化したネタとして自分の中に昇華しておくこと。それをするかしないかが、クリエイターか否かを分けると思われる。

そのあたりのヒントは、優れたクリエイターのエピソードからうかがえる。まずは任天堂の宮本氏。
アイデアを出す会議などで、「この問題をどうしよう?」ということを話し合っているときに、当然いろんな人がいろんなこと言うんですけど、たいていそれは、ひとつの問題を解決するだけで、ほかの問題を解決させるわけではない。つまり、汗をかいた分しか前進しないんです。(中略)でも、ときどき、たったひとつのことをすると、あっちもよくなって、こっちもよくなって、さらに予想もしなかった問題まで解決する、というときがあるんですよ。そういう「ひとつのこと」を、宮本さんは「ないか、ないか」っていつも考えてるんです。ものすごくしつこく、延々と。
アイデアというのはなにか?−ほぼ日刊イトイ新聞

もうひとつ、孫引きになってしまうのだが、デザイナーの奥山氏。
僕らの商売には「ハレとケ」ではないが、2つのモードがある。1つめは「溜め」で、自分の中で材料を溜め込み、熟成し、並べ替える作業をしている。これは外から見ても知ることのできない部分で、一見何もしていないかのようだ。もう1つは「発散」で、一気阿成」にアウトプットするモードだ。絵を描き、シナリオを形にし、成果物として世に問う。人はこの部分だけを見て、仕事をしていると思うものだ。
人生を決めた15分 創造の1/10000 - 情報考学 Passion For The Future

ひどく大ざっぱにいうと、彼らは、「どんな問題点に対してどんなアイデアが適用され、その結果どういう解決をもたらしたか」ということを普段からずっと観察し続けているのだろう。それが、いざ仕事となったときに、脳の中で編集されて適用される。その過程には無意識のブラックボックスがあるのだろうが、いずれにせよ最初のインプットがないとはじまらない。アイデア出しは(仕事のオリエンを受けて)分析から始まるプロセスではなく、普段から観察し、編集し続ける一つの姿勢であるようだ。アイデアは一日にして成らず、かもしれない。

koukokugyokai at 06:27|PermalinkComments(2)TrackBack(5)

2008年04月07日

アイデア出しと修行

宗教などでよく聞く「修行」という言葉。
自分などは、反射的に「滝に打たれる感じ」を想起するのだが、
仏教ではもともと「歩くこと」という意味だったらしい。

歩くこと、といえば、アイデア出しの達人などは
散歩が好きで、歩いているときによく思いつくという話を聞く。
シャワーを浴びているときとか、トイレにいるときなどの意見も聞いた。
深く意識せずにできる(反復的な)行動を取っているときがよいらしい。

少し疑問がわく。
なんで、悟りたいのに、アイデアを出したいのに、歩く必要があるのか。
それに集中してはいけないのか。

もし、非常に「進歩的な」宗教者が出てきて、
いやあ悟りに修行は不要なんですよ、といったらどうだろう。
宗教に詳しくないが、もしかしたらそういう宗教はすでにあるのかも。
10万円出してこの本を買えば、悟りに達しますよ、みたいな。
あるいは「歩かなくてもアイデア出ますよ、このマニュアルがあれば!」みたいな。

そもそも修行では、なぜわざわざ苦しいことをやっていたのだろうか?
苦しいことをやれば何かが得られる、という認識をしがちな人間のミスなのだろうか。
そこには、何らかの叡智があるのではないだろうか。

おそらくだけれども、あの滝に打たれる作業「単体」には意味がないだろう。
その作業自体が悟りを生み出すわけではない。
そういう文脈でいうと、あの苦行はやめてもいいのかもしれない。
でもおそらく、あれをやめてしまうと、悟りには達しない。

こう考える。
滝に打たれたり、念仏を唱えたり、歩いたりしているときは、集中がそがれている。
何かについて考えるのに、わざわざそれ以外の行動を一緒にするのはなぜか?
ここで一つの仮説がうかぶ。
「意識を集中する」というときの「意識」は、ときによっては邪魔でしかないということ。

複雑で、抽象度が高い、深い思考というものがたぶんある。
我々がふだん、「考えている」と認識しているのは、浅い思考だと思われる。
意識上で、あれこれと概念操作を行うことが、浅い思考にあたる。
アイデア出しや、悟りやらに関する思考は、深い思考がたぶん向いている。
深い思考をするためには、いったん浅い思考を止めなければならない。
浅い思考を止めるための麻酔薬が、おそらく「修行」やら「歩くこと」だと思う。

深い思考は、無意識との対話というふうに言い換えてもいい。
悟りだのアイデア出しだのをするときには、無意識との対話が必要なのだと思う。
人間の意識上の思考というのは、割と浅くて、おそらくは緊急用でしかない。
しかし人は、それこそ無意識的に、意識上の思考というのを始めてしまう。
それを麻痺させ、止めるために、修行というものがある。
修行におけるあの作業は、大きな、考えるプロセスの一つとなっている。

逆説的だけれど、集中的に考えるために、あえて別のことを同時にする。
浅い思考がはじまってしまうことを防ぐために、麻酔をかけることが必要なのかもしれない。
そのうえで、無意識との対話=深い思考、を意識的に仕掛けてみる。
かの有名なセリフ「Don't think,feel」は、そういうことなのかもしれない。

koukokugyokai at 01:10|PermalinkComments(4)TrackBack(1)

2007年08月13日

リッチメディアとリッチ体験

リッチメディアの行方が若干気になる。
何が気になるかというと、リッチメディアの主語がなにかということであって、
リッチにならないといけないのは表現側でなく、ユーザー側であると思う。
言い換えると、リッチメディアでなくリッチ体験を目指そうということになる。

広告に限って言うならば、表現のリッチさと体験としてのリッチさは比例していかない。
ケースにもよるのだが、多くの場合、どこかで反比例が始まる。
そしてその「どこか」は、思ったよりもずっと手前だったりする。
なぜかというと、広告の情報量は本来、発信および到達情報量で測るのではなくて、
受信者の頭の中に広がった情報量になるのからだ。つまり、想像や妄想を含む。

それで、大切になるのはむしろ「想像や妄想」のほうなのであって、その理由は
間違いなく主語がユーザーだからである。自分で行った妄想は信じやすいということだ。
(そのへん、「そうだ、京都、行こう」を例に過去に考えたことがある。)

なのだが、一部のゲーム業界で過去に起きたような表現リッチ競争が始まって
製作側が疲弊し、結果も芳しくない・・・みたいなことが起きないだろうかと心配してしまう。
リッチメディアとリッチ体験を混同しないように気をつけたいと思う。

これを極端に例えると、遺伝子技術で徹底的に甘いスイカを作るのがいわゆる
リッチメディア的アプローチで、塩を一振りするのがリッチ体験のアプローチ、だろうか。

古い例だけれども、フランク・ロイド・ライトの建築で、妙に通路が狭い
設計になっている部分があって、なにかといえばその先の部屋に入ったときに
広がる風景を最大化させるために、いったん絞って心理的な効果を狙っていたりする。
こういうのだって、ユーザーから見ればリッチな体験で、むしろ資源はセーブされる。
(うろ覚え。例が違ってたらすいません)

この手の手法はディズニーランドあたりでいかんなく発揮されていて、
入園時の気持ちを盛り上げるとか、並んでるときのイライラ感を減らすとか、
鏡の配置とか、自動販売機置かないとか、建築物の縮尺ずらすとか、ネットでさがすと
色々出てくるし、関連の書籍も出ているので、非常にためになる。

ところで最近、「着エロ」が地味にブームらしいのだが、
そういう話を聞いているとリッチメディア化の臨界点が来たのだろうかと考えてしまう。
着エロというのは、全部脱がずにあえてある程度衣類を残しているエロだ。
その方向で例えてみるなら、パンチラがリッチ体験で、パンツを脱いでしまうとリッチメディアに
なるだろうか。まあ、なんとも下品な例えではある、我ながら。

広告関連で考えると、やはりその主要な目的は夢を見てもらうことであり、
夢を見せることではない。こちらが企画した夢でありながら、それを見るのは
あくまで相手であることを念頭に置く必要がある。
ところが一歩間違うと、リッチ表現で夢をオチまで見せきってしまって、相手が
満腹になってしまうということが起きる。よくある失敗例だと思う。

なんというか、「いき(粋)」にもつながる考え方かと思うのだけれど、
この概念、重要でありながら、非常に壊れ/壊されやすい。そのへんが気になるところだ。
クライアントに納得してもらうことも含めて、広告屋の腕が試されるところだ。

koukokugyokai at 02:35|PermalinkComments(2)TrackBack(1)

2007年07月30日

Yahoo!トップページリニューアルを観察する

2008年に、Yahoo!のトップページがリニューアルするようだ。
下記リンク先に、現状α版のサイトが出ている。
西田氏は「グループインタビューやアイトラッキングなどの調査結果を踏まえて、新しいデザインを決定した」と説明。「能動的、受動的どちらのアプローチにも応えられる、必要な情報があるトップページデザインになっている」と新デザインの特徴を語った。(Broadband Watch

確かに、そういうことだと思う。まだα版のようだが、いくつか検証したい。
個人的に気になるのはこのあたり。

■トピックス枠の移動
■広告枠の拡大(リッチ化?)
■広告企画枠の新設(Yahoo!スポットライト)
■タブ式インターフェースの採用

リニューアルにあたっては、メイン顧客である、なんとなくYahoo!層と、
Googleに侵食されつつあるカスタマイズ要求層の折り合いをつけるのに
かなり腐心したことだろう。また、広告収入増加もポイントのはずだ。

Yahoo!の哲学は、あくまで「提供側の人力コンテンツ調整」にあり、
Googleのような、ユーザー側に任せる部分の大きいものと大分違うと考える。
それが日本でのYahoo!の強さのひとつにあると私は思っており、
また、今後その考えを対Googleでどう発揮するかも気になるところだ。

さて、

他国でのYahoo!に合わせている、左側の「コンテントボックス」は、
ブラウザのブックマーク表示欄に似たもので、これは直感的にわかりやすい。
3ペインにしたのは、これからのPCはワイド画面化するという読みで、正しい。
いま、皆が使っているインターフェースの感覚にあわせるのは、重要だ。

で、広告についてであるが、少し枠が大きくなったようだ。
少し気になるのは、「トピックス」を左側に持ってきたことだ。
いまのトップページは、右下にトピックスがあり、その上にメールなどがあり、
一番上に広告枠が表示される形式になっている。

トピックス狙いの人にとっては、これからは広告枠が目に入りにくく
なるのではないだろうか。確か、ひとはZ型に画面を見るはずで、
真ん中のトピックスのところで視線が終わってしまうと問題だ。
(これ新聞広告での知見なので、違ったら指摘願います)

枠を大型化したのは、ブロードバンド化を正式に承認したということもあるだろう。
何を今更ブロードバンド、と思われるかもしれないが、このくらいのタイミングが
ベストなのではないかなあと、少し思う。

もう数年前の話になるが、私がYahoo!に関して感心したのは、
当時、流行していたリッチなバナー表現をトップページに採用しなかったことだ。
他のポータルはバナーを大きくし、Flashを使い、容量制限をゆるくしたのに対し、
Yahoo!のトップページ(あの広告枠をブランドパネルという)は頑として制限した。
おそらく、当時まだまだ多かったダイヤルアップユーザーを考慮したのだろう。

Yahoo!の社員は当然早い回線を使ってるだろうし、ネットへの親和性も高いだろうが
こういう発想ができるのなら、当分ほかのポータルに負けはしまい、と思っていたのだが
その発想は現在でも脈々と受け継がれているのではないかと思う。

また、「Yahoo!スポットライト」と名づけられた編集枠があって、
おそらく編集タイアップのような枠が作られるのだろう。雑誌にもよくあるアレだ。
従来からYahoo!には「広告企画」の名の下に、そのようなページがあったが、
これを本格化させるということだろうか。編集力が試されるところだ。

その枠のさらに下に、CGM枠である「みんなで作るYahoo!JAPAN」があるが、
これはあくまで、入れてみました、ということではないだろうか。
この辺、Yahoo!の慎重さがうかがえる。個人的には、賢明だと思う。

あと何か考えるとしたら、タブ式インターフェースをどう利用するか。
ヘビーユーザーにとって、タブはもはや珍しいものではないけれど、
タブというのは、実はあまり見られない(気づかれない)ものだと聞いた。
いままで普通に表示していたものをタブの先にすると、ガクッとアクセスが減る。
タブ化するくらいなら、むしろ下にスクロールしてもいいから全表示するという手もある。
この辺をどう考えるか難しいところだが、縦方向に短くする必要はないと思う。
Yahoo!カナダのように、タブを一回だけ点滅させてみるというのもひとつの手だ。

とにかく、Yahoo!のようにアクセス母数が巨大なサイトは、
ちょっとしたレイアウト変更が巨大な影響をもたらす。
競合ポータルの中には、この辺を甘く見て後退してしまったところもある。
担当者のプレッシャーはさぞかし大きいことだろう。
日本インターネットにおける巨人、Yahoo!がどう出るか、期待したい。


※余談だが、私の昔の彼女は、「検索したい」というので私が提供した
Googleのトップページで、「ヤフー」(←日本語)と検索していた。
うーむ、あらためてYahoo!は凄い。

koukokugyokai at 03:26|PermalinkComments(3)TrackBack(0)

2007年05月17日

最後の一歩は、相手に踏んでもらう

職人のような、自分の仕事に対して自負の大きい(プライドの高い)人に対しては、
「こうしろ」的な指示がうまくいかない場合が多いという。

その人はそれでどうするのかというと、相手に「ほのめかす」のだそうだ。
8割くらいのヒントを出し、あとはその人が発見する(した)ように操作するという。
そうすることで、相手は自分で発見したのだと感じ、プライドを害することも
あまりないということだ。

そのぐらいの絶妙なヒント出しというか、アシストの技術というものが重要だという。
それなりに一般的な手法かとは思うが、広告でもよく、その手法が使われる。

ひとつの例として、CAPE TIMESという新聞社の広告を挙げる。
前日」(ニテンイチリュウさんより)

歴史的な大事件の、前日の様子を写した、何の変哲もない一枚の写真。
コピーは隅に小さく、「世界は一日で変わりうる。毎日の綿密なニュースを見逃すな」と。

要は「毎日届けられる最新のニュースというものには、意味がある」ということだが、
その言葉だけを直接伝えたのでは、あまり印象に残らないし、覚えてもらえない。
そのために、わざわざ「前日の写真」を大写しにし、隅っこにあるコピーでほのめかし、
毎日の最新ニュースの存在意義というものを読者に「発見させる」。
普通に広告するよりも、このほうが効果がありそうなことは確かだ。

考えてみれば、自分で体験したこと、考えて見出したことは覚えていやすいが、
本で読んだこと、講義などで一方的に聞いていただけのことは忘れやすい。
一時期、広告業界ではさかんに「体験型マーケティング」ということがいわれていたが、
その体験で、自ら最後の一歩を踏んでもらうことがポイントなのだろう。

最後の一歩をわざと踏んでもらえるように、わざと一歩空けて設計する。
これは色々応用が利く技術であろう(し、応用されている)と思う。

見事に説得型のプレゼンをしても、感情的な抵抗にあってなかなかうまくいかないとか、
上司に苦言を呈するときにの効果的な方法とか、そのあたりも同じ話だろう。
(というか、ここまで書いてネタかぶってるじゃんと気づく・・・)

恋愛においても、ぎりぎり不快にならないようなところまで相手を攻撃し、
あえて相手の中に葛藤を作り出し、相手に自分のことを考えさせて、
自然と「気になる人」にさせてしまうという高等テクを使う人がいる。
(ハイレベルすぎる・・・)

ほのめかすような、微妙に情報が欠落している感じのブログに不思議と人気があるのも
もしかしたら、同じ原理なのかもしれない。

koukokugyokai at 01:55|PermalinkComments(1)TrackBack(1)

2007年05月15日

どうしてアイデアマンになれないのか

コピー2.0というサイトがあります。
出されたお題(出すこともできる)に、コピーを書いたり、他人のコピーに
投票することができるサイトです。ランキングもあります。
早速自分もやってみました。まだ、ちょっとだけですが。

ところで、しばらくやっているうちに、「このサイトの意味はなんだろう?」
という疑問がわいてきました。いったい、何の役に立つのか?

もちろん、コピーライター志望の人や、広告業界人にとっては、それなりに
有用なサイトであることは間違いありません。
コピーライターに依頼したいけれど、そんなお金がない中小企業の人にも
いいかもしれません(ただし著作権の問題が発生するかも)。

でも、それだけだと、あまりサイトの発展は望めないかもしれません。
母数があまりにも小さい。
別に私は利害関係者ではないですが、このサイトをもっと盛り上げるための
有効な切り口はないだろうか・・・と思っていました。(一応広告人ですから)

と、急に話が飛びますが、なんで英語が出来るようにならないのでしょうか。
日本語文法の話とか、教育方法の話とか、いろいろ理由はあるでしょうが、
やはり「なんとなく必要なだけ」ということが、学習者のモチベーションを
そいでいるのではないか・・・という気がします。

たまに行く、海外旅行で使うだけ。
業務でも必要な気がするが、いつ必要になるかわからない。
必要になる場面はあるが、そのために毎日勉強するほどのものでもない。
孤独な学習なので、なかなか続かない・・・
そんなことも、英語学習が続かない理由なんじゃないかと思います。

裏を返せば、こまめに成長が実感できたり、成長を競い合う友人がいたり、
使う場面がそれなりの頻度であるようなら、英語学習にも身が入るという
ものではないでしょうか。

アイデアも似たようなところがあると思います。
アイデアマンになりたいか、と聞かれれば多くの人がなりたいという。
しかし、その手の本を買って見るけれど、だからといってすぐにはなれない。
アイデアマンになる切羽詰った理由もない。発露の機会もない。
だいたい、アイデアマンというけれど、どうやってそれを測るのか。
測れないのでは、成長を感じるのも難しい。

そこでコピー2.0。
アイデアマンとはちょっと違うかもしれませんが、もともとコピーを考えるということは
物事を異なった側面から見たり、本質を捉えなおす作業が入ります。
自分の記憶や言語脳をフル活動させてコピーを考える、それはアイデアマンへの
ひとつの道と断言してしまっていい・・・のか?まあいいでしょう。

しかも、自分の書いたコピーに投票が入る(「ナイス!」ボタン)のだから、
何がよくて、何がよくないのかということもわかります。
全体としてランキングもあるので、上を目指してがんばることも出来ます。
毎日毎日、悩みながらたくさんコピーを書いていけば、それなりに上達できるでしょう。
本を買って勉強するのもいいかもしれません。
他のランク上位の人のコピーを見て勉強するのでもいいでしょう。
近いランクの人と競い合ってもいいし、リアル友人と競ってもいいでしょう。

ロジカルシンキングでも、アイデアでも、英会話でもいいのですが、
出来たほうがいいけど、なかなかきっかけがなくて伸びない・・・やる習慣がつかない・・・
という、そういうもののために、こういったSNS×CGM?的なサイトは
役に立つ気がします。続けるための、細かいモチベーション作りとして。
これもひとつのLifehack、なんでしょうかね。

この手のもので英語学習版を誰か作ってみてはいかがでしょう。もうあるのかな。

koukokugyokai at 00:30|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2007年01月25日

generateとcreate

本当にCGA(Consumer generated AD)が誕生したようだ。
誰かやるだろ、誰かやるだろと思ってたけど、できてみると驚く。
filmoは企業から依頼のあった商品について消費者が能動的にプロモーションに関わることで、多様化するライフスタイルに見合った様々なパターンのCMが同時制作されるという、新しい形の広告プロモーション。企業にとっては、安価で多様なCMを制作することが可能となる。(Cnet
なお、エニグモという会社がこの仕組みを作ったみたいだが、
この会社、「プレスブログ」というブログマーケティングの商品も持っている。
仕組みを見てみると、それと非常に似ていることに気づく。
いってみれば、これは動画版プレスブログなんだろう。

新しい試みはなんにせよ非常に歓迎すべきことだと思うが、
個人的には非常に疑問を感じるサービスではある。
プレスブログと同じく、このサービスも勘所を間違えていると思う。

これはConsumer generatedじゃない。Consumer createdである。
というか、ただの動画作成コンテストと呼ぶべきなのだろうか。
Createdだからといって悪いわけではないが、なぜCGMがCCMと呼ばれないのか
考える必要があるのではないか。

前に口コミ関連のエントリをしたときに書いたのだけど、
CGMのキモのひとつは、「面白いコンテンツがあることを発見して、有名にする」
ことにあるわけで、「面白いものを生み出す主体」そのものにはない。
プロでもアマでも誰でもいいが、とにかく面白いものが埋もれたり、つまらないものが
意味なく大量に露出してしまうことを防ぐところに意味があると思う。
この「見つけてきて有名にする」というところが、Generateだ。
最初のネタをCreateするのは、ある意味Consumerじゃなくてもいいと思う。

だが、プレスブログもこのfilmoも、とにかくConsumerにCreateさせることに
焦点が当たりすぎて、肝心のGenerateのところはConsumerを締め出している。
実際、このサービスは、評価を行うのはConsumerではないのだ。
その動画CMがfilmoの審査を通ると、2000円程度の制作費が支払われる。さらに優秀な作品には、CM視聴回数、広告訴求力、作品力などの評価軸に応じて、3〜20万円程度の賞金が支払われる。
結局のところ、CGMといわれるものの本質は、出だしが何にせよ、
消費者が育て、消費者が支持するというところに力点があると思われる。
「消費者が生んだから」意味があるわけじゃなくて、「誰が作ってもいいけど、
消費者がいいと思うものが選ばれる」ことに意味があるんではなかろうか。

CGMというのは広告制作者を駆逐するものでは必ずしもない。
(オリエンして、出来を判断する)広告主を駆逐するものなのだろう。

koukokugyokai at 23:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2007年01月07日

徒弟制は本当にダメな制度なのか

会社により多少は異なるかと思いますが、広告会社のクリエイティブ職(制作職)では
徒弟制度が採用されています。いや、採用はされてないかもですけど、事実上
徒弟制度っぽい感じで、師匠みたいな人に数人が下についています。
下についている人は数年、下働きをします。
よほどのことがない限り、表立って仕事をさせてもらうことはなく、
ロクに教えてもらえず、下働きと、真似に徹するということです。

私は広告業界に入ってから、「今時なんで徒弟制度なんだ?馬鹿じゃないのか?」と
この慣習を見てきたのですが、最近、徒弟制のプラス面が気になります。

と思ってたら、いいタイミングで田坂広志氏のこんな記事。
私は、間もなく「師匠」という言葉が復活して、洗練された徒弟制が復活すると思いますね。若手にすれば、少しぐらい知識を身につけただけでは全然プロとして活躍できないと感じる時代になり、年輩から見れば若手を管理するのではなく、師匠として本当に高度な知恵を伝承できるかがマネジャーやリーダーしての資質になってくるんです。(NBOnline)
この記事とはちょっと角度が違いますが、もしかしたら徒弟制度じゃないと
できないことがあるんじゃないか、というのを最近感じます。

徒弟制度に組み込まれた新人(弟子)はこういうことを考えるはずです。

「なんでこんなことをしなければいけないんだろう」・・・(1)
「なんで師匠はこういう風に仕事をするんだろう」・・・(2)

これの繰り返し。仕事が次々繰り返されていく中で、このことを何度も問いながら
とにかく下働きとして、手を動かすという作業が続きます。

でも考えてみれば、(1)を繰り返し問うということは、自分と仕事について
考えるということです。この仕事は本当にやりたいことなのか、と。
また、(2)を繰りかえし問うということは、何がどのくらい重要で、
なぜ重要なのかということを、自分の頭で考えるということです。
また師匠の仕事を延々と見ることによる、「本物をつくる疑似経験」も産物として発生します。

近代のマニュアル化した教育というものを考えると、(1)と(2)を
弟子から取り上げて、効率化の名の下に省いてしまおうということです。
マニュアルというのは知識の一種ですが、本当に重要なのは省いてしまった
(1)のプロセスと、(2)のプロセスなのかもしれません。

(1)で自分がこの仕事に対して覚悟ができているかどうか確かめ、
(2)でコツやその背景を自分の頭で「発見」し、正解例を蓄積し、
そしてやっと、自分でやってみる(現場に出る)というのは、もしかしたら
マニュアル化よりももっと、合理的で効率的だったのかもしれません。

見ている限り、時代遅れの徒弟制で働く制作職の人も、それが嫌でやめている人は
どうも少ない。むしろ、やめるのは、合理的なマニュアル主義の中で
「いてもいなくても変わらない自分」に悩む別職種の人たちに多いような気がします。
覚悟を決める時間も与えられず、自分で発見する力を養う暇もなく、
「このとおりにやれ」というマニュアル主義のなかで、低賃金労働者と
コンピューターによる効率化の影におびえる・・・では、確かに嫌になります。

職種や場合による部分も多く、徒弟制がなんでも万能とも思えませんが、
少なくとも時代遅れの非合理的制度としてしまうのは、拙速かもしれません。
職人が人気なのも、このあたりを受けているのでしょうか。
確かに優れた職人には、覚悟と知恵(≠知識)があるようですし。


koukokugyokai at 03:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2007年01月05日

「美しい国」は広告的にはNG・・・だと思う

現首相、安倍氏のスローガンが「美しい国」らしいですね。
不評なのかどうかはよくわかりませんが、ネット界隈ではあまり評判がよろしくない。
さて、広告会社は企業スローガンを決めるお手伝いを行うことがあります。
その観点からみて、「美しい国」というスローガンはどうなのか。

まず、スローガンというもののもたらす役割について考えます。
端的に言うと「これから向かうべき先をはっきりと指し示す」これです。

策定のときにはずせないのは以下の点。

○何かに迷った際には、選択の際の判断基準になること。
そもそもスローガンは迷いを断ち、特定の方向へ導くものだからです。

○見る人によって解釈にブレが生まれにくいこと。
スローガンは多くの人に対する指針です。見る人によりぶれてはいけないんです。
自分だけはっきり分かっていても仕方がありません。

さて、その観点でスローガン「美しい国」をみていくと・・・

まず最初に「美しい」という形容詞がよくないような気がします。
スローガンに形容詞を入れるのはあまり定石でもないと思います。
「美しい」は情緒的ですが、意味が不明です。何を美しいとするかの基準が
人によってまちまちなので、判断の基準になりません。

政策決定のときに、「これは美しいか?」と問うたとして、議論が
紛糾するのは間違いありません。
もし安倍首相が美しい国をめざすならば、スローガンには美しさの定義を
入れなければいけなかったはずです。

もちろん、彼は同名の書籍を出版しており、それを読めばよいという話ですが、
誰もがすぐに読める状況にはないですし、(少なくとも私は)本を読んでも
「美しい」の基準を見定めることができませんでした。

そして「美しい」を受ける「国」という言葉。
おそらくここの詳細をスローガンにすべきだったと思われます。
政治スローガンというのは、国のあり方を決めるべきもの。
そのときには「国」に修飾語をつける(=美しい国)ではなくて、
「国」というものをどう考えるかという、具体的な解釈を示すべきだったでしょう。

地方分権とか再チャレンジ、年金制度とかで問題になっているのは、
ある問題に対して、国がどのくらい・どの程度・どのような形でコミットすべきか
というところです。そのためには、国は国民にとってどういう存在であるべきか
という話が必ず必要となります。
ですから「(形容詞)な国」というよりは、「(名詞)である国」にしたほうがよいでしょう。

いままでの日本のように、産業界と組んでいくなら「パートナーとしての国」だし、
再チャレンジなど、最後のセーフティーネットとしての機能に重きを置くなら
「しんがりとしての国」だし、有望な組織・人を伸ばすことに念頭をおくなら
「エンジェル(※投資用語)としての国」でしょう。

また、スローガンの策定には罠があります。それは抽象化の罠。
抽象的で美しい言葉にすれば、反対する人は少ないですし、いろいろな概念を
包含できます。しかしそれが完全に逆効果になるのです。
スローガンはあまり意味を包含させたり、抽象的になってはいけない。
なぜなら選択肢を限定させる(=決断の指針)になることが重要だからです。
企業でもよくやってしまうことですが、「いい国」とか「幸せな国」なんて
いうのは誰も反対しない代わり、何も言っていないに等しくなります。

ちなみに、個人的にスローガンとして的を射ているとおもうのは、
「所得倍増計画」です(池田勇人内閣)。これは経済スローガンですが。
所得は具体的な数字で出ますし、それを倍増させるというのはわかりやすい。
これを「美しい所得」としては意味がわかりません(笑)。

そういえば安倍氏の奥方である昭恵さんは元・電通社員ですよね。
全然関係ないけど、その辺の縁で電通がスローガンのサポートとかしてるのでしょうか。
してないか。

koukokugyokai at 00:05|PermalinkComments(3)TrackBack(1)

2006年12月23日

発想したタイミングで、判断してはいけない

アイデア会議なんかでは、よく「ブレインストーミング(ブレスト)」が行われます。
これは、企画の初期段階で、テーマに関連したことを自由に考え、討議する
という方法のようです。場合により、方法はいろいろあるようですが。

技術的な内容としては、大きいホワイトボードを使うとか、
ポストイットを使うとか、KJ法を使ってまとめるとか、まあいろいろ
工夫があります。中には実際にモックをその場で作ってみる、なんてものも。

その中で、ブレストの原則のひとつに「批判しない」というものがあります。
他の人が、どんなに粗野な、思いつきにしかすぎないような浅薄なアイデアを
出したように聞こえても、それを(その場で)批判してはいけないというものです。

ブレストは質より量を重視するので、批判してはいけないような気もするのですが
「批判してはいけない」のは、実はそういう理由ではなく、アイデア出しに
関する別の重要な法則によって決められているのだと思います。
それは、「創出と判断を分ける」というものです。

人は、アイデアが出た瞬間に、そのアイデアがいいものかどうか、
無意識のうちに判断してしまう癖があります。
しかし、アイデアを生み出した人にしろ、そのアイデアが生まれた場にしろ、
そこは通常とは違う空間、頭脳が沸騰したような空間になっているので、
アイデアの良し悪しを判断してはいけないわけです。
判断は、時間がたって、後で冷静になったときにするべきもので、
アイデアを生む行為と、判断する行為は、はっきりと別物だということです。

ブレストが苦手だという人は、何も別にアイデアが浮かばない人ではなく、
思いついた瞬間に(自分の中で)判断を下してしまうがために結局のところ
自分のアイデアを他人に発言できない(=思いつかないとみなされる)人の
事だと思います。
しかし上述のように、アイデアを生む行為と判断する行為を同時にやってはいけません。
最低でも、アイデアを出した後一回は寝ないと、判断するのは不可能です。

かくいう私も、割と自分の中で判断してからアイデアを話してしまうクチですが、
そうやって自分の中で決めた優劣の判断と、周りの判断は別だったりします。
自分で最高と思っていたものが箸にも棒にもかからず、適当に数あわせで
出したアイデアが高評価を受けたりすることがよくあります。

また、しばたく時間がたってから自分のアイデアを見返してみると、
出したときとは違い冷静になって判断できるので的確に判断しやすく、
かつ元のアイデアにある別の視点が発見できたりして、いいことが多いです。

なので、アイデア創出と判断は、必要なスキルも、やるべき時も、まったく別物として
行うのがブレストのひとつの鉄則だろうなあと思うわけでした。

koukokugyokai at 17:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年11月25日

デザイナー的な「漢字の書き方」…か?

激しく既出なことなのかもしれないが、この前、同期のデザイナーと
「最近字を書かなくなって、字がへたくそになって」…な話をしてたら、
「漢字をうまく書くコツ」について話が及びました。

彼的には、漢字をうまく書くのは簡単らしく、

「縦線どうし、横線どうしの間隔を一定にする」

ということらしい。

試しに書いてみると、まあ確かに整った感じになります。
確かに字が下手な人は、線の間隔が一定じゃないよなあ…と思いました。
デザイナー的に見ると漢字ってそうなのかと。

外国人に漢字を教えるときとかに使う手法らしいっす。
いったん、この手法で徹底的に慣らしてから、自分流に崩すと、
個性があって美しい漢字が書けるんだとか。

デザインとかレイアウトとかの観点なんですかね?よくわかりません。


koukokugyokai at 16:27|PermalinkComments(2)TrackBack(1)

2006年11月22日

アイデアにお金を払ってもらうには

広告のアイデアを通販する。
ここには、非常に深い課題とチャンスがありそうな匂いです。

ブログ「POP*POP」からご紹介なのですが、
広告を紹介するサイトは多々あれど、広告を「売る」サイトとは滅多にないのでは?そんな貴重な「広告のアイデアを通販する」というコンセプトのサイト。
デザインバーコードで有名な方々が手がけられているサイトですね。
具体的なアイデアはリンク先でどうぞ。

で、何が課題とチャンスかということなのですが、
なんと、なんと、今の広告業界では、
「アイデアには一銭もお金が支払われていない」んです。
メディアコストと、代理店へのマージン(手数料)はもちろん支払われています。
しかし、「アイデア費」という名目はないんです。
(制作費とは別ですよ。あれは作業費+原材料費なので)

確かに、代理店はマージンやメディアコストから、制作担当者の
お給料を支払うわけですから、もらっていないというわけでもありません。
でも、そういう問題ではないわけです。
そのアイデアに対する対価がはっきりしないんです。
アイデア如何によって、支払われるお金が変わりもしません。

実際、競合プレゼンで、思いもよらぬ案が出てきたからといって、
支払われるお金は増えない。逆に、ダメ案でも、採用されれば
同じお金(メディアコスト+マージン)は支払われます。
そうなるとモチベーションは、効果を生む・評判になるとか(=いいアイデア)じゃなく、
競合コンペに勝つということになるのです。

競合コンペに勝つのがモチベーションなら、じゃあいいアイデアが出るかというと、
「競合コンペに勝ちたい」→「勝てるアイデア出そう」
→「クライアントが好きそうなの出そう」→「自己満広告にしよう」と
いう流れを通る可能性が、すっごく高い。
本当はいいアイデアを求めたのに、結果は広告主の自己満足広告っぽくなってしまう。
それが、構造的な問題としてひとつあるわけです。

でも、じゃあクライアントが問題だね、といえばいいかというとそうでもなくて、
アイデアにはお金をつけられず、優劣も客観的に判断できないので
擬似的にメディアコストやマージンで支払っているわけです。

う〜む、アイデアに値段がつけられないことが問題なわけですよね。
じゃあ、アイデアの価格はどう判断すればいいんでしょうか。

…で、このサイトでは、通販という形で自分で値段をつけているわけです。
依頼があって、アイデアを考えるのでは結果として値段がつかないから、
あらかじめアイデアに値段をつけて売り出してしまおうと。逆です。新しいです。
メディアと同じ考え方でアイデアに値段をつけるわけですね。

紹介した「アイデア通販」は表現アイデアというよりは、
メディアアイデア、企画アイデアに寄っていますが、表現アイデアも含めて
「アイデアに値段をつける」ということはいろんな人にとって意義があるかと。

私としてはこれを逆オークション形式にしたいですね。市場原理を入れたい。
広告主が競って、落札する形にしたい。
みんなが見られる形でのアイデアオークションですから、パクリの問題が
発生しそうで、そこが問題ですけど。
アイデア評価には、広告主以外の、一般の人の観点も入れたいですね。

広告費は高い、高いといわれて久しいですが、
アイデア費をオークション制にしたら、むしろ広告費は上がるかも。
(本当にいいアイデアは、びっくりするほど高いと思いますよ。)
その代わり、もっといいアイデア、世の中に受けるアイデアの広告が
流通し始めて、いい感じになると思いますがどうでしょか。

koukokugyokai at 03:13|PermalinkComments(0)TrackBack(1)

2006年11月21日

凄腕コピーライターが天才的なのはなんでか

ということを帰りのタクシーの中でつらつらと考えてました。
目の前にはタクシーのカーナビ。ああそうか…と思いました。てなわけで。

彼らは、いってみればベテランの運ちゃんみたいなもんですよ。
あらかじめ、いろんな道を走っている、だから道を知っている。それで常に道を試す癖がある。
それだけなんだと思いますね。

彼らはコピーを(若いときには特に)たくさん書きますけど、
それはいいコピーを書くためというよりは、ダメなコピー(ありがちな切り口)を
捨てるためなんですね。いってみれば道に迷いまくってみるようなもの。
「常識だとこの道。あの道はどうかな?この道はどうだろうか?」て感じで。
それで、その経験を経て、ダメな道をあらかた巡っているので、
いいコピーが書ける。いい切り口が見つかる。スゴイ発想が見つかる。しかも早く。

そりゃそうですね。あらかじめ考えておけば早いし深い。
いや、何事も、あらかじめ考えてあるかどうかなんでしょう。その場勝負は思いつきでしかない。
ビジネスでは特に、継続的に成功するかどうかが重要視されるし。

その上、常に新しくて速い道を探して、いろんな道を、他の人がボケッと
している間にも探しまくっている癖があるもんだから、見知らぬ土地も
ドンドン制覇する上、地図が変わってもすぐ対応しちゃう。
これはある種の癖というか、習慣でしょう。

まあニュートンだって、エジソンだって、多分めちゃんこ失敗してるでしょうしね。
彼らは成功の方法よりも、失敗の方法に詳しいでしょう。失敗数のほうが多いから。
でも、定石を試して失敗し続けるから、誰も見つけられない観点を発見できるわけで。
その発見だけ後世に語り継がれると「すげえ!俺には無理!」とみんな思うわけでしょう。

仕事の効率でいうと、過去の偉い人の作った道(メソッド)に習っていくのが
一番効率的かもしれませんが、実のところ時とともに地図が変わっていく。
だから、あれこれ迷う・考える・試す姿勢というのは、長期的には得な上、
それを継続的に早く行う癖があれば、発見や発想も生まれやすい。発想体質というか。

その苦しみをケチってしまって、他人の作った○○メソッドに頼りすぎると、
そのときは速いですけど、新しい土地に行ったときに考える力がない。
「あの道なんじゃないかな?」「この道はいけそうだ」みたいな勘がない。
現実の地図と違って、状況はころころ変わるわけです。
いつまでも「右に2回曲がったら次は左」とかいうメソッドじゃ通用しないわけですね。
良くても、「あの人理屈はすごいけど、発想力ないよね」になります。
理屈がすごいだけでも、十分すごいとは思いますけど。

メソッド収集マニアの人がメソッドを生み出せないとすれば、こういう事情も
あるんじゃないでしょうか。

まとめると、天才的コピーライターがすごいのは、
,△蕕じめ考えつくしているから、1%の可能性で存在する、スゴイ発想が見つかる。
考え続ける習性があるから、状況やお題が変わっても対応できる。
でした。ふ〜ん。

koukokugyokai at 03:06|PermalinkComments(4)TrackBack(4)

2006年11月07日

小室型の人、つんく型の人

最近、業界の(ほんの)一部で、従来型クリエイティブと
Web前提型クリエイティブの違いについて議論が盛んだ。

それで、その違いは何だろうと思って、考えてみた。
そしたら、それを例えるにふさわしいちょうどいい例があった。
作曲家・小室哲哉とつんく(つんく♂)である。

小室哲哉。彼のプロデュースは一方通行である。

■世間一般の流行に乗った形のアートワーク
■一般的にかわいい・美しいとされるボーカルの起用
■「かっこいい」とされるアレンジの採用

以上のようなコンセプトで、上流から下流へ水を流すがごとく、
たくさんのヒット曲を生み出した。

一方、つんく。彼のプロデュースは双方向(というか逆方向)。

■ダサいが注目を集めそうな70〜80年代アートワーク。
■賛否両論集めそうな「子供」「微ブサ」の採用。
■「とにかく気になる耳障りな」アレンジの採用。

ボーカルは公募し、グループは次々と再編し、
ダサさを通り越したコンセプトで議論を巻き起こした。


このあたりの違いは、従来型クリエイティブとWeb前提型クリエイティブの
違いに非常に近いものがあると思われる。

従来型クリエイティブは、極度に単純化してしまえば、

■でかい声を出して洗脳する。
■うまいことをいう。
■「時代の気分」を切り取る。

こういうことを重視している。いわば小室型で、一方通行だ。
それに対して、Web前提型クリエイティブは、

■議論を巻き起こす。賛否両論あるものを出す。
■未完成で出す。勝手に育てさせる。変化することが前提。
■「局所に溜まっている熱気」を切り取る。

こういうところがある。つんく型といえないだろうか。

「小室哲哉とつんく」については、
この辺の比較(Wikipediaから引用)も、違いが現れていて面白いところだ。
歌詞の面では、小室哲哉がプロデュースする時は不特定多数の人が歌詞の意味を探ったり、フレーズの言葉からそれぞれの人が自分の世界を想像して感情移入する歌詞に対して、つんくはすでにキャラクターや場所など、シチュエーションが設定されている人物を中心に、物語形式で展開する所が大きく違う。(Wikipedia−つんく

なお、一般的には、小室系は1995〜1996年を境に凋落してしまったのに
対して、つんく系は1998年の「モーニング娘。」から勢いを増し、
2006年(今年)の「時東ぁみ」に至ってもまだ勢いを失っていない。

なお、Web時代の幕開け(とされるのか?)を飾ったWindows95が
リリースされたのは、1995年。
本格的なブロードバンドの幕開けとなったADSLが開通したのが、2000年頃。

小室系の時代を終わらせたのは、もしかしたらWebかもしれない。
だとしたら、小室型のクリエイティブも、もうそろそろ終わりだろうか。

koukokugyokai at 01:05|PermalinkComments(0)TrackBack(1)

2006年10月30日

ポジティブにするか、ネガティブにするか

2005年にカンヌ広告賞の金賞をとったのが、AIDES(AIDS防止関連の組織)
の放映した、フランスでの下記のCMです。アニメを使ったかっこいい広告。


それで、そのゲイ版もあるようで、Youtubeに上がってました。


どっちもメッセージは共通で、適当に日本語訳すると
「最高の相手を見つけるために、生き延びようよ
(そのためにはコンドームとかでいろいろ防止しようね)。」というもの。
※元は「Live long enough to find the right one.」です

日本でのAIDS関連の広告は確か公共広告機構の、
「カレシの元カノの元カレを、知っていますか」(見えない連鎖)というものが
あったと思いますが、かなりネガティブアプローチ(脅し)。

広告にはポジティブなアプローチとネガティブなアプローチがありますが、
インパクトあるのはネガティブなほうだったりするので、迷います。
ただ、一般的には、ポジティブなアプローチのほうが良いようです。

しかしそれを置いても、海外の広告は、内容が大胆っすねえ…

koukokugyokai at 06:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年10月18日

クリエイティブのコツ(のひとつ)は、時空間に発想を広げること

よく、広告デザイナーやプロダクトデザイナーが
発想をするときの基本スキームをひとつご紹介。
「時空間に、発想を広げてみる」。

まずはブログidea*idea「世界のクリエイティブな広告まとめ」よりひとつご紹介。

広告

「普通のライトより300%明るいのです」と。
駐車場につくって、焦げてしまうくらいライトが明るいのだ、
ということを訴求した広告である。

この発想の仕組みとしては、もともとの「ライトが明るい」
というのを、時空間を広げて考えた、ということがある。
「明るい」としたら、○○(時間)ではどうか?
○○(場所)ではどうか?と広げていく。
それで、この場合駐車場だとしたら?という発想に行き着いて、
「それなら壁が焼け焦げるくらいなはずだ」という表現に
なったと見られる。

こういう発想は、何も広告だけではない。プロダクトデザインでもよくある。

たとえば無印良品の「持ち運びできるあかり」。
あかり
これは、ベッドサイドの電灯として考えられたものらしいのだが、
これを使うときのことを、時空間に発想を広げると、
「トイレに行くかもしれないのでそのときは持って行きたい」
「寝るときは手の届く場所においておきたい」
という用途が出てくる。
そういう発想から、生まれたものだと思う。


もうひとつ。Bose社の、パソコン用デスクトップスピーカー「MediaMate® II」。
Bose
これは、PCとつないで、机の上に置かれることを想定している。
ここでも時空間の発想があり、
「ならばやや設置場所の上部に耳が位置するはず」
という考えで、自然と斜め上を向くように設計された。
また、いちいち電源ボタンをつけずに、
コンセントを入れる=電源としたこともそのためだ。


何か考えろ、といわれると、すぐさま概念的に考え始めてしまうけれど、
ひとまず具体的な場面として、時間・空間を広げて考えてみる。
それはどうやらひとつのポイントらしい。

koukokugyokai at 01:47|PermalinkComments(0)TrackBack(1)

2006年10月06日

広告表現は爆発だ!

何かを作る、いや「創る」などと表現される職業につく人にとっては
ひとつの壁になる(とまでいっていいのか)のが、岡本太郎だ。
彼の有名な言葉「芸術は爆発だ!!」というのは、いったい何を意味しているのか。
深い意味がもちろんあるのだろうが、そういえば、広告表現も爆発だ、
と表現していい例がいくつかある。

まず、その前に「爆発だ!!」を解釈したい。

力学には詳しくないが、力学的に言えば、おそらく爆発というのは大きなエネルギーが
発生する瞬間、と捉えることができる。
もっと細かくつめると、爆発するためには衝突をするのが手っ取り早いのであって、
衝突するものができるだけ硬く、そして互いに距離があるところから
衝突すると、発生するエネルギーが大きい。

さて、力学の例えはここまでにして、実際の話に戻す。

ここでは佐藤可士和氏の例を挙げよう。
彼は「爆発」を生もうとしている。そのために彼が良く使うのは、色だ。
彼は過去に「Smap」の表現を手がけた
できるだけ離れた色をぶつけて、表現内で爆発を生もうとしている。
爆発させることで表現にエネルギーを持たせようとしているわけだ。

うまく例えられない。では次の例。
本「ひとつ上のプレゼン。」で博報堂の柴田氏がこのようなことを言っている。
「できるだけ離れた言葉を組み合わせて、作っていく。」
離れた言葉を組み合わせる=ぶつけて爆発させることで、表現のエネルギーを増すということだ。
これは良く使われる手法といえる。たとえば椎名林檎のアルバムタイトルなどが典型的だ。

また、大きなエネルギーを発生させるのは衝突だけではなく、落下もある。
これはいちいち説明しなくてもよくて、文字通り「オチ」である。
広告表現だけでなく、というか、お笑いが典型的な例だといえる。

…とまあ、深夜の思い付きみたいなものを披露してみたが、ここはひとつ、
冷静に、力学的に捉えて、大きなエネルギーを生むことを考えれば、
意外とエネルギーの強い表現ができるかもしれない。

koukokugyokai at 04:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年10月05日

まずはパターンを知れ

皆さんご存知の通り、人は「パターン認識」をします。
この方面に特に詳しいわけではないのですが、
認知した情報が自分の中の特定のパターンに符合すると、
「それ」として認識するわけ、ですね。

ちょっと(大分)前に「蓮画像(※)」というのが流行りまして、
非常に気持ち悪い、トラウマになる、と評判になり韓国では18禁指定までされましたが、
あれなんかは、本来あるはずのない(パターンに反する)穴が
人体にあいているものだから、人間の本質的なパターン認識が拒否反応を起こして
気持ち悪くなる、というものだと思うわけです。

(※蓮画像:人体と、枯れた蓮の種の穴を合成して、あたかも
人体に生物的な穴がたくさん開いているように見える画像。とっても気持ち悪い。
検索すれば見つかりますが、勧めません。)

このパターン認識がうまい人は物覚えが速くて、
たとえば、機械に強い人なんかは機械に関するパターン認識をもっていて、
大体、機械というのはどこをどう動かせばどうなるのかパターンを知っていて、
新しい機械でも結構簡単に使いこなしたりするわけ、ですね。

たとえば本でも、最初に「はじめに」があり、目次があって、
本文があって、一番最後のほうに著者経歴があるから、慣れている人は
その辺を最初にパパッとチェックして、本を判断する。これもパターンですね。

それで。
いま、新聞(たぶん日経)で、不定期に1コマ漫画広告が投入されています。
広告主は忘れましたが、とにかく広告内容とはあまり関係なく、強調線なんかの入った
1コマしかないマンガ絵が入っていて、吹き出しのところに
「業務用機械なら○○電気」とか入っているわけです。
本当に絵と内容は関係のないものなわけです。

新聞に絵とマンガ(らしきもの)が入っていると、たいていの人は
そこに注目します。実際、その新聞を見せたところ、みんな見て(読んで)ました。
小賢しい技といえばそうですが、この辺は新聞を読む人の認識パターンを
裏手にとった、うまい広告だといえます。
これを作った人は、まず何をもって目立たせるか考える前に、
新聞を読む人の認識パターンについて思いをめぐらせたのでしょう。

広告表現を作るときは、その場に置かれている人がどのようなパターンを
もって、その媒体に接触しているかを知るのが非常に重要なのでしょう。
ある意味、それは「普通の行動」を知るということなのだけど、
優秀な製作者は、周りの人の行動を普段からよーく観察し、「パターン」を
見つけ出して、それに沿ったりわざと逆らったりして表現手法を考えていることが多いです。

と、いうことで、まずは手法云々の前に、「普通のパターン」というのは
何なのか、ということを考えるべきだろうな、思ったわけで。

Webでよく見る「3秒ルール」とか、これですよね、ある意味。

※3秒ルール:3秒間、退屈して待たされると、Web閲覧者は飛ばしてしまうというルール。

koukokugyokai at 02:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年10月03日

出来が微妙なバズビデオ

一応、「Milwaukee’s best light」っていうビールのビデオなのだが、
単に缶が超高速で放たれて、対象物とぶつかって爆発するだけ。
こういうのも一応「バズ」っていうのかな…

"Awesome cannon montage"



このビデオから学ぶことがあるとすれば、

1.変なの作ればいいってものじゃないね。
2.面白いけどいちいちDVDで買うほどじゃない系の企画が狙い目だね。

こんな感じでしょうか。

koukokugyokai at 01:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年10月01日

クリエイティブは常識の斜め上を行く

ハッカーのことを書いた本の副題に「奴らは常識の斜め上を行く」とある。
はてなの定義によると、
ある主体の行動が人々の予想を上回り、なおかつ捻りまで効いているさま。
出典は(それ以前にもあったかもしれないが)、冨樫義博の『レベルE』(単行本では第1巻ISBN:4088720717より)。単に「斜め上」だけで表現されることもある。
だそうな。

この「常識の斜め上を行く」という言い方、かなりおもしろい。
この言葉を聞いて最初に、自分は広告のクリエイティブを思い出した。
広告のクリエイティブを作る作業は、常識の斜め上を発見することに近いとおもう。

たとえばコピーを書くことを考えてみる。
有名な話だが、ほとんどのコピーライターは、とにかくたくさんの
コピーを書く。最低100本、などとよく言われている。

なんでたくさん書くのかといえば、自分の中にある、「常識的な見方」や
「常識的な表現」をいったん全部吐き出す、ということがひとつある。
たいてい、すぐに思いつくコピーというのは常識にまみれていて、
驚きもなければ、深みもないものだったりすることが多い。

常識的な見方や表現をいったん出し切った後、まだ「うーむ」と考えたり
思考を寝かせたりしていると、そのうち、より抽象化された考え・表現や
別の角度から検討された考え・表現が出てきたりする。
この抽象化は概念的に言えば「上」で、別の角度からというのは「横」だろうなと思う。
なので、別の角度からより抽象化された表現は、「斜め上」と呼んでも
差し支えないような気がするのだが、どうだろうか。

koukokugyokai at 23:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年09月29日

「できうる」の壁

カンヌとかその手のコンテストがあったり、話題になった広告が
あったりすると、クリエイター(とか制作関係者)はこう思う。

(心の中で)「…俺でも出来るよそれ」

傍から見てると、確かにそういう場合もある、と思う。
実際、打ち合わせ段階では「これは面白い!」というものもあるのに
実施の段階になるとあんまり面白くなくなっていたりする。

本当は、多くの制作関係者はポテンシャルがあるのだが、
それを実現できない。発想はできるが実現ができない、その間に
実は壁がある気がする。

カンヌとかのでかいコンテストでは、この「実現の壁」を破るために
クライアントを抱き込んだり、BSなどの媒体の安い枠に一回だけ流したりして
なんとかして放映実績だけ作ったりする反則すれすれの手を使うこともあるのだが
それはやはり亜流であって、正々堂々とどうやったらおもろい広告を
世の中にたくさん出せるのかということを考えないといかんと実感。

正直、おもろいことを言ったり考えたり出来る人は多い。
でもそれをうまいこと世の中に出しちゃえる人が少ない。

考えてみたら他の分野でもそうであって、アタマのいい人は結構多いけど、
だからといって実現できる人は多くないっていう、そういうことなのかも。

koukokugyokai at 03:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年09月27日

記憶術と広告の関係

記憶術に関連する本を読んでいたらこんな感じの記述が。

記憶するかどうかは…

,泙困和慮海之茲泙襦(五感に対する強度。)
⊆,忙弭佑之茲泙襦(それに対して思考をめぐらしたかどうか。)
最後に感情で決まる。(好きか嫌いか。)

これは広告施策を考える際の参考になりそう。
よく、現場でも「体験型」などというし。
(しかしこの「体験型」、イマイチ言葉の中身が不明だったりする)

△了弭佑亡悗靴討蓮∩阿法屐」と「?」が重要だとエントリしたとおりだ。
スッと頭に入ってくるより、ユーモアや驚きで思考のフィルターを通して
もらって覚えてもらいやすくするということだろう。
ちなみにユーモアなら、の感情もプラスに働きやすい。

問題は,慮浚兇。今のところ、視覚・聴覚はなんとかなるが、
嗅覚・触覚・味覚あたりは広告に生かせてない。
ただ、うなぎ屋とかの店頭で感じる通り、嗅覚なども重要な広告ではある。
(…の商品が欲しくなる匂い、とか。そんなのないか。)

あとは、の感情。無関心は問題外だが、必ずしも好きでなくても
よいような気がする。「嫌い」→「好き」になる感じの計算された広告とか。
難しいかな。いまのところ「ツンデレ広告」とジャンル付けしておこう。

koukokugyokai at 00:45|PermalinkComments(0)TrackBack(1)

2006年09月21日

絶対第三者感

よく小説家などは「観察力が違う」というようなほめ方をされるが、
広告のデザイナーなどでも、似たようなことがいえる気がする。

一言でいうと、彼らは「第三者感」を持っている。
彼らはあくまで一人の人間で、個人なのだが、普遍的な
第三者的・一般的感覚も同時に持ち合わせている。
だから、業界人バリバリの打ち合わせでも、場に流されず、
いい意味での「素朴な疑問の呈示」ができたりする。

個人としてみれば、かなりエキセントリックな場合もあるのだが、
彼らの発言には、どうも説得力がある。
そしてそれは、いかにも「一般的第三者」が言っているがごとく、普通で、
それがゆえに「そうだよね〜」とうなずいてしまう。
もちろん彼らはデザイナーだから、普通の人相手の意識調査などしていない。
なのに、それはどう見ても普遍的な感覚だったりする。

で、それとは関係あるのか分からないが、重要なこととして、彼らは
自分を観察している。もっと厳密に言うと、常にもう一人の自分が、自分を観察しているのだ。
彼らは、ものを買うときでも、それを買っている自分を観察している。
プレゼンしているときでも、それをしている自分を観察している。
まるで、幽体離脱したもう一人の人間が、自分を眺めているがごとく。
このあたりが、第三者感と関係しているかもしれない。

そういえば私はプレゼンで滅多に緊張しないのだが、
プレゼンのときはなんだか自分とはなれたところに気持ちがあったりする。
それで、なんだか他人事みたいだから、妙に冷静に余裕で話せたりする。
その辺に近い感覚を受ける。(※手を抜いているわけではない)

プランニングのときに、「見る人・買う人はどう思うだろう」という気持ちはもちろん大切であるが、
その前に、普段から「常に自分を遠くから見つめる」第三者感が、重要かもしれない。

koukokugyokai at 00:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年09月13日

ダジャレは広告の基本

「今日はコピーもって来る日だったよね」
「ああ、もってきました」
「んじゃあ見てみようか」

「今回はこのサービスが、ドコモでしか行われていないことを訴求します、
それで、その部分を強調する案で」
「えー、…ドコモダケ」

「…」
「…ダジャレか」
「ダジャレは基本だからね」

適当に打ち合わせを再現してみたけど、このような風景は
今日もどこかの会議室で行われていることだろう。

で、「ダジャレは基本だからね」なのだが、確かにダジャレは基本なのである。
素人に、試みにコピーを書いてもらっても、確かにダジャレの案が入っているのだ。
そういう意味で基本であるし、また手法として一般的(=通じやすいとされる)という
意味合いでも、「ダジャレは基本」なのだった。

ダジャレのよいところはいくつかあるが、
ヾ蔽院わかりやすい。
覚えやすい。
ティーンなどにも効きやすい(らしい)。
ご覯茲砲覆蠅笋垢ぁ

たとえば「ドコモダケ」であると、ドコモ風のキノコキャラが思いつく。
こうなると、キャラクターが浮かんだ時点でかなり企画になる。
ドコモとキノコは基本的に関係がないのであるが、ダジャレによって
結びつくと、世界が広がるのである。
企画は異質なものが組み合わさる場合に、爆発力を発揮する。
ドコモのキャラが携帯電話のデフォルメであるよりも、キノコであるほうが、
いろいろな企画を発想しやすい。(ためしに比較して企画してみるとわかる)
そういえば、メールしまクリというのもあった。

ところで、ダジャレと言えばオヤジギャグ。
なぜ、オヤジはオヤジギャグをいうのだろうか。
昔のギャグを言っている(からつまらない)のだとか、むしろギャグは
話のきっかけで、くだらないとわかって言うのだとか、
仕事のプレッシャーからの逃避などと諸説あるようだが、ここで新説をひとつ。

「オヤジギャグが発生するのは、(幼少の)子供がいるからである」

子供がいると、親(オヤジ)は子供とコミュニケーションをとらなくてはいけない。
そのときに、子供には単純な笑いが効く。
それで、オヤジはオヤジギャグを習得してしまうのではなかろうか。
その証拠に、小さい子供はオヤジギャグで笑う(そして言う)。

あー、でも孫がいるはずのジジイ(老人)は言わないし、
子供がいても普通、女の人は言わないな。女の人はその代わり、
子供をカワイイカワイイしすぎて、若い男子を「カワイイ」と呼んで
うざがられたりするか。これが女性のオヤジギャグ的行動かも。

あまり筋のよい仮説ではなさそうだが、ま、ともかく、ダジャレは基本なのであった。

koukokugyokai at 00:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年09月03日

ソーシャル・アドバタイジング(ベータ版)

最近どうも「ソーシャル」という言葉が気になる。
ソーシャル・ネットワーク(SNS)、ソーシャル・ブックマーク。
ソーシャル・エンジニアリングという詐欺の手法もあるらしい。

それで、仮に「ソーシャル・アドバタイジング」というものがあるとすると
それは何なのか、ということを優雅な日曜日の午後に紅茶を飲む(ような気分)で考えた。

結論としては、「それっていわゆるクチコミじゃん?」だった。
どうやらこの手のサービスに「ソーシャル」とつくのは、いままで個人的・局所的な
情報だったものを、社会化(=Web上で共有)することという意味で
ソーシャルと名づけているようなのだ。
それでいうと、ソーシャル・アドバタイジングはクチコミということになる。
ただ、クチコミをソーシャル・アドバタイジングと捉えなおすと、いくつか
見えてくる真実というか、方法論があるような気がする。

(1)コンテンツは「みんなの反応情報」。提供すべきは「ネタ」。
(2)不特定多数(マス)に投下しては「いけない」。
(3)一定の規模になると、キャズム(溝)が訪れる。マスをやるならそのタイミング。

(1)について。クチコミがひとつの反応である以上、反応をいかに生み出すかが
一番重要なことになる。だから、供給者側からのメッセージとして完結
してしまうものは、クチコミとしては失敗になる。どんなによいコピーであってもだ。
2ちゃんねる的にいうと「誰がうまいこと言えとw」となる。
そういう意味で言うと、元ネタはあまり重要でさえなく、いかによい反応を
導けるのか、ということが重要だ。コンテンツはむしろ「反応」で、
いい反応があると、それがひとつのコンテンツになって広がる、という仕組みなのだろうか。

(2)はあたりまえの事にみえるが、ひとつのポイントがある。
従来クチコミを捉えるときの文脈は、「自然に広がっていくものだから、
大量投下する必要がなくて、よい。経済的。」といった認識があった。
でも実はそうではなくて、大量投下することはむしろ悪、失敗をもたらすと考えるべきなのだ。
いわゆるクチコミの際には、見た(聞いた)人が「限られた人しか知らない」
と思うことが重要だ。「ココだけの話」効果とでもいおうか。
これが「皆さんご存知の通り(=マス)」ということになると、人に伝える
モチベーションが下がり、かつ、そんな大きな話題に対して個人的に反応する気が落ちる。
だから、むしろ「マス投下してはいけない」ということになるのではないか。

(3)に関しては、最近思うことで、どれだけ広がっても、クチコミは
クチコミでしかないんじゃないか、ということである。
広告主の規模によるのだが、いくらWeb上で話題になっても、どうしても
アクティブユーザー内での内輪ネタ、という印象がぬぐえない場合がある。
Web上での到達臨界点(キャズム)のようなところに達してしまうのである。
この辺が、大手代理店人がWebを軽視する傾向の元になっている気もする。
タイミングが難しいと思うのだが、Web上の評判からリアルに広げていくには、
(今のところは)「マス」が有効な場合がある気がしている。
マスによって、キャズムを超え、Web上の評判はリアルの評判になる…かもしれない。
もちろんそうするとWeb上では「終わった」扱いされるのであって、
それが嫌ならWeb上だけで続けていくという選択肢もあるのだろう。

この公式をうまくたどったのは、ちょっと古いが「電車男」だと思われる。
しかし、ソーシャルということで考えると、Webで共有するモチベーションを作るのは難しい。
いまのところ、「強烈に面白い・変だ」か「役に立つ」というモチベーションがほとんどだ。
それ以外のモチベーションも育てていかないと、ソーシャルアドバタイジングは難しそうだ。

koukokugyokai at 01:16|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2006年08月23日

ある人を好きになることと、ある商品が欲しくなることと

こんなことってないだろうか。

自分ではあまり意識していなかったのに、友人から「お前あいつ好きだろう」と
いわれて、妙に意識して、最終的に好きになってしまうこと。
あるいは逆に、「あいつがお前のこと好きだって」といわれて、意識してしまうこと。
自分が夜、寝ていてある人が夢に出てきて、次の日から妙に気になってしまうこと。

これは広告でも似たような例があるのだろうか。
いや、優れた広告のうちいくつかは、似たような効果をもたらしているような気がする。
なんでこういうことが起きるのだろう。

この例で重要なのは、「自分で、明確に意識していなかったこと」で、
かつ「周り(あるいは無意識)から指摘される」ということだろうか。
さらに「一瞬びっくりして、反発して、でも納得しそうになる」こと。

さらに重要なこととして、無意識であるにしろそうでないにしろ、自分が
ある程度、それを(その人を)好きになる素養のようなものが必要だということ。

クチコミのヒントとか、流行を起こすこととか、検索に勝る創造型
マーケティング(?)だとかそういうもののヒントが、ここにあるようなないような。

通常、マーケティングでは、ある商品のターゲット、潜在購買層を定めたら、
あとは直接的に商品のいいところを訴求していく。
でも、上記のような「あいつ好きだろう」効果を生み出すためには、そこで
ワンクッションおいて、「俺、あいつのこと好きだったっけ。あれ?」という
気持ちにさせる方法を取らないといけないというか、そういう方法を
とったほうが効果的に、持続的に刺激が続くのではないかと。
もっと具体的にいうと、「本人を名指しでびっくり」させて、「一瞬反発」させて、
それで「結局考えているうちになんだか納得し」、それで「強く意識してしまう」ような。

最近、マーケティングは直接的であることをえらいとする風潮があって、
「よいところを短くハッキリといえばよいのだ」から、「ひねりを加えたCMとかダメ」と
いう傾向があるのだが、こういう効果をもたらすには、むしろ直接的では逆効果で、
若干ひねりを加えたほうがむしろいい感じになるのだと思うが、どうだろう。うーむ。

ぱっと広告では例が思いつかないけれども、考えてみれば、
本のタイトルのつけ方にはそのようなものが多いのかとも思った。
最近話題の本「テレビCM崩壊」とか、なんとなく近いかも。

koukokugyokai at 02:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年08月11日

GIFアニメができないやつに、FLASHが作れるか

ITmedia+Dに、チュンソフトの中村氏のインタビュー。
チュンソフト。懐かしい。ドラクエ周りでは結構聞いた名だ。
…逆に今の若い子に話を聞くと、ファミコン時代のソフトのほうが面白い、という声が良く挙がるんですよ。これっていったい何なんでしょうね? (業界に一石を投じたジャンル“サウンドノベル”を今一度振り返る

ファミコンのほうが面白い。
これはうなずける人も多いと思う。
ファミコン関連では、あの作曲家:すぎやまこういち氏も、ファミコンの
ような、トラック数の少ない曲であっても、
生み出す感動には関係がないというようなことをいっていた。
昨日のエントリで書いたのだが、むしろ情報量が少ないほうが、想像力を刺激するのかもしれない。

ここから急に広告の話にするのは危険かもしれないが、こういいたくなる。

そもそも、すばらしい一行広告を作れないなら、テレビ広告なんてもってのほか。
まともなGIFアニメ(正確にはGIF89aアニメ)が作れないなら、よいFLASHコンテンツも作れない。

確かに、すばらしい広告だからといって、最先端のテクノロジーを
使っているわけではない。
グーグルのアドセンスなんてただの文章リンクだ。
(それ以外のところで、すごいわけだけど。)

根本のところにある、骨が重要なんだなあと、オヤジ臭い感想。

最近はテクノロジーなどで状況が変わってきているけれども、
ファミコンと同じ問題が、広告でも起きる、起きていると思う。



koukokugyokai at 02:59|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2006年08月10日

世界最強の媒体?

優れたデザイナーは、よく「デザインは引き算である」という。
単に無駄な部分を削った、ミニマルなデザインだと捉えがちだが、
この言葉の真意は別のところにあるのではないかと思う。

よく効く広告というものがある。効くための条件はいろいろあるが、
ここでは過去の名作「そうだ、京都、行こう。」を取り上げてみる。
(ちなみにこの広告を制作したのは、元・電通、現・シンガタの佐々木宏氏である。
広告表現は、過去のものを含めて、JR東海ミュージアムで見られる。)

なぜこれは名作なのだろうか。よく「京都に行きたくなる!」といわれる。
この広告の目的は、(基本的には)京都にいってもらうことだから、成功だろう。
ではなぜ、コピー「そうだ、京都、行こう。」は名作なのか。続きを読む

koukokugyokai at 01:08|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2006年08月08日

IDEOはデザイン会社なのに、なぜコンサルティングも行うのか?

「発想する会社!」などのIDEOに関する本を見れば、驚くほど
代理店のプランニングと手法が似ているにもかかわらず、一方はいまや拍手喝采、
他方は大ブーイング(士農工商●●…)といった様相だ。

代理店は、もっとIDEOに学んでもよかったのかもしれない。
いや、コミッションという罠から抜け出せなかったことが、明暗を分けた
といえるのだろう。
そう考えれば昨今の流れは、自分では抜け出せなくなった罠から、周りが
助け出そうとしてくれている、そんな側面もあるのかも。(自虐的)

IDEOが教える「イノベーションを生む秘けつ」

この記事は短いのでアレなんだけども、興味のある人は2冊ほど本が出ているので、
そちらを読むとよいかもしれない。(著者:トム・ケリー)
代理店だって、もっと別の何かになれたはずだ。まだなれると思うし。
今だって、ブランディングのために社内研修とか、やっている。
そういうことから広げていくという方向だってある。

ああ、お堅い話はいいよ…という向きには、こちら。
単純に見て楽しい。

フォトレポート: IDEOが手がけたガジェットの名品たち


確かにこれを見れば、「これを作れるのは、なんでなの?」と思う。
優れた広告を見れば、…うーん、やっぱり商品じゃないとだめなんだろうか。

koukokugyokai at 00:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年08月02日

ツッコミはボケになれるのか

いい加減眠いので、軽くエントリしますが。

お笑いコンビにおけるツッコミは、ボケになれるのだろうか。
ツッコミの代表的な人物は、浜ちゃん(ダウンタウン)・矢部(ナイティナイン)などだ。
彼らは、松ちゃん、岡村になれるのだろうか。

というのは最近、Webのプランはボケなのだろうという気がしたからだ。

従来の、優れた広告コミュニケーションというのはツッコミだ。
状況や製品、消費者の感じていること(インサイトなどともいう)を把握し、
そこに狙いを定めて、絞って、メッセージを送り込む。
これはボケというよりは、ツッコミ的な感性で行われる。

しかしWebで成功する、あるいはバイラル(クチコミ)で広がる、
Webらしいプランニングというものがあるとすれば、隙のない「ツッコミ」ではなく、
むしろ隙のある「ボケ」が必要になる。
これをノッカリティとしてもいい(またまた手前味噌)。
Webにおいて、従来TVCMで行われているような広告は効きにくい。
隙がないからだ。ただ鑑賞するだけになってしまう。
それよりも、隙があり、ツッコミどころがあり、それを人に伝えたくなる
メッセージ、というよりは場が必要になる。

Webというものを考えるときは、その相手が両手をキーボードの上、あるいは
片手をマウスの上においているということをしっかり認識するべきなのだろう。
そして、相当に飽きっぽく、シビアな判断をすることも。
それは、なんとなくソファにすわり、ハナクソをほじりながら眺めている
TVCMの視聴者の状況とは大分違う。
そのためには、隙のないメッセージではなく、良質の隙があるボケ、「場」を
設ける必要があるのだろう。それがバイラルなのかもしれない。

さて、ツッコミはボケになれるのだろうか。
言い換えれば、従来TVCM向けに隙のない表現を作ってきた従来型の代理店は、
これからのWebのためにボケになり、良質の隙がある企画を作れるのだろうか。
参加型というボケ、広めたくなるボケ、加工したくなるボケ。

最近、制作方面で代理店がこれからWebに入り込めるかどうかは、
そのあたりが最重要になるのではないかという気がしている。

※蛇足だけど、Webにおける現在最強のボケは、「釣り(2ちゃんねる)」の
ような気がする。最強の釣り師になれればいいのか…?

koukokugyokai at 02:48|PermalinkComments(0)TrackBack(1)

2006年07月31日

善行認定という手法

だいぶ前に見たニュースで、地域の犯罪(窃盗とか)を抑止するのに
「犯罪取り締まり強化中」などと看板に書くよりは
「犯罪者が先日取り押さえられました。協力ありがとうございます」などと
書くほうが大きく効果をあげるらしい…ということがあった。

それで、これも以前から気になっていたけれども
トイレなどで、「きれいに使ってください」と書くよりは
「いつもきれいに使っていただいてありがとうございます」と書くほうが
よいらしく、コンビニなどでは最近よく見かけるようになった。

後者は善行認定という手法らしいです。

マーケティングなどでも、似たような手法が使われているのかなと
いう気がする。
具体的になんだというのが思い出せないのだけれども。

業界一位の商品などを扱う際には、王者の戦略などといって、
「●●万台突破、ありがとうございます」なんてCMが流れたりするけれど
(特にビールとか多い)、それが善行(?)認定だったりするのだろうか。

それはともかく、この善行認定、周囲からのプレッシャー&本人のプライドをくすぐる手法として
注目すべき部分があると思う。
実際には表現でよく使われていそうな気がするので、あまり新しい発見ではないが
ココロをつかむ手法として、ひとつの貴重な事実だろうといえる。

あくまでも商品力あっての話ではありますが。

koukokugyokai at 06:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年07月27日

「エラー」は広告に効く

広告制作表現で、効果のあるものといえば
「動物と赤ちゃん」である。

…というマンネリな話は置いといて。

「エラー」は、広告として効く。

覚えている人はいるだろうか。
キリン「生茶」の広告で、松嶋奈々子が最初は「男の勲章」を
歌っていたのに、後半でねじれて「夢の中へ」を歌っているCM。
そのころ生茶は絶好調だった。

また、同じく松嶋奈々子なのだが、ニンテンドーDSの広告で、
脳年齢が52歳とか言われて、奮闘している広告。
ニンテンドーDSは、知っての通り絶好調である。

もちろん、これらのCMで物が売れているとはいえないのであるが、
(まあ、加速させているくらいの言い方が妥当だと思う)
とにかく、これらの広告にはエラーが含まれている。

曲を間違えているというエラー。
意外に脳年齢が高いというエラー、ムキになるというエラー。
人間はエラーが好きなのである。ハプニング映像は大人気なことを思えばうなずける。
また、お笑いによってもたらされる笑いのうち多くは、エラーによるものだ。

これは、以前に紹介した「表現に?や!」を埋め込むという手法と
関連するのではあるが、とにかくエラーをうまい形で
埋め込んでいくのが、実は広告手法としていい感じにするのだ。
そうでなくてもCMは商品をよく見せるもの(と消費者も知っている。)
そこでエラーがあれば、それはさらに引き立つというものだ。
(商品に直接絡むエラーはつらいかもしれないが…)

人間のことを考えてもよくわかる。
美人は退屈、3日で飽きる。
欠点のない人は好きになれない。
いいカッコウばかりしている人は好かれない。

エラーをはさんだメリハリというか、ココロの駆け引きまでふくめて
メッセージを伝えていくというのがプロの手法だと思う。
料理でも、逆の味をちょっと加えてメリハリ・奥行きを出したりするし。

細かいが、実はエラーが致命的でない・印象全体までは左右しないというのもポイントだ。
砂糖を隠し味にしたカレーはよくても、砂糖の味がするカレーはだめだ。
変に凝りすぎたキャンペーンは隠し味が多すぎて、意味がない場合が多い。
このバランスが難しいのだが、Web系のキャンペーンには隠し味ばかりで
本当の味がわからなくなってしまっているものも多い。
そのあたりは、まだ旧4媒体での表現に一日の長がある印象だ。

…それよりも実は印象的なのは、2つのエラーの例がどちらも松嶋奈々子と
いうことだ。なんでだろう?別に好きでもないのに。
そのあたりを調べたほうが、実は示唆に富む発見があったりして。

koukokugyokai at 01:47|PermalinkComments(4)TrackBack(0)

2006年07月26日

フランク・ロイド・ライト広告

9e90aace.jpg




以前に広告と建築の類似性を指摘したような気がするが、
個人的に好きでもあり、参考になる建築家がひとり。

フランク・ロイド・ライトである。
ル・コルビュジェ、ミース・ ファン・デル・ローエとともに
世界三大建築家といわれたりもする。

日本では、過去に帝国ホテルの設計をしたりしている。
(いま建っているものではない)
最高傑作と名高いのは、「落水荘(Fallingwater)」と呼ばれる別荘である。

それで、彼の言葉にこんなものがある。
「形態と機能は1つである」
「形は機能や素材、環境に即したものでなければならない。」

広告もそうなのではないかとずっと思っている。
広告だけではない、何かしらの目的を持って構成されるものは
大体がそうだろう。商品だってそうだし、プレゼンもそうだ。

だから、(よくやってしまうが)あまりに手法を一般化したり、
どんな場合でも同じアプローチをとるのはうまくなくて、
その場その場で、メッセージ、メディア、その他いろいろなものを
設計していかなければならない…のだと思う。

結局のところ、業界で言う「コンタクトポイント(タッチポイント)」はそういうことだ。
最適なタイミングで、最適なメディアで、最適なメッセージを。
だから、常に最適解が異なる。
最近いろいろと騒がれるWeb関連のメディアに関しても、この話で行くと
メディアだけの話ではなくて、メッセージ・場の設計・ストーリー…
そういうものをひっくるめて(というか一体にして)考える必要がある。

だから本当に重要なのは、最適解を学ぶことではなくて、
最適解を導き出す視点というか、アプローチなのだろう。
時代により、状況により、広告がかわったり、常にひとりのプランナーが
最前線を走れるわけじゃないというのも、その表れだと思う。
それでいうと、「作風」というのが明快にあるプランナーは、
強くもあり、弱くもある。
(究極的な意味では、作風はあるのだけれど。)

最適解を求めて、毎回毎回ゼロからはじめる。
それで、今日も午前様と。それもどうなのかと。

koukokugyokai at 03:18|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2006年07月12日

コンセプト脳(あるいは、コピー脳)

fa43fa0a.jpg






---------------
【アナロジー:類推】

(1)似ている点をもとにして他の事を推し量ること。
「文献から―する」「単なる―にすぎない」
(2)〔論〕〔analogy〕両者の類似性に基づいて、ある特殊の事物から
他の特殊の事物へと推理を及ぼすこと。結論は蓋然的である。類比。比論。
類比推理。アナロジー。
(3)言語学で、言語変化の原因とされるものの一。
ある語形や文法形式が変化する際、その原因として、
何らかの点で似かよっており、しかも勢力のある他の語の語形や
文法形式がモデルとなることをいう。

(三省堂提供「大辞林 第二版」より)
---------------

広告業界には、たまにものすごく優れたコピーライターや
コンセプターという人が存在する。

そういう人たちに必ず備わっているひとつの能力として、
アナロジー力というものがある。

要素・構造・機能が似ているものにたとえて、
メッセージやコンセプトを組み立てていく。
または、物事の本質をつかむために、アナロジーを使っていく。

世の中で創造的な人は、このアナロジーが上手である場合が多い。
そうでなくても、説明上手な人は、アナロジーをうまく使う。

「人間は考える葦である」

パスカルの名言であるが、これもアナロジーだ。

さて、共感覚者という人たちがいる。
音を見て、味を読み、匂いに色を見出す。文字通り、そう感じるのだ。
彼らの能力は、(仮に何かが欠落していても)注目すべきものだ。

創造的になりたい、あるいは本質をすぐにつかみたい。
そういうときはアナロジーがオススメだ。

まずは明日から、ふと立ち止まって、「これに似ているものは?」と
考えてみるのがいいのだろう。そのときに、見た目にこだわるのでなく、
要素・機能・構造・関係などに注目するのがいいと思う。

…といいつつ、まだ自分も実行していません。

koukokugyokai at 02:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

「24時間戦えますか」復活−響き方の違い

0257da1c.jpg






あの「リゲイン」で、再び「24時間戦えますか」CMが始まった。
しかし今回は違う。時任三郎ではなく、ガレッジセール。
そして、エリートサラリーマンが活躍するさまではなく、
ユーモアを交えたサラリーマンの生き様を描いている。

コピーは同じなのに、10年(以上)たつとこうも変わるのか、と思える。

以前は、24時間戦う(働く)ことはカッコイイものとされたのに、
今はおろかなことだとしか思えない。
せいぜい、「そういうのもあるんじゃない」程度だ。

世の中で「勝ち組」とか「負け組」とかいう言葉が使われだして、
もはや24時間働くことは、多くのサラリーマンの視線の先にはなくなった。
前のバージョンは、「24時間働くくらいの(立派な)人間ですか」だったが、
今は「24時間戦うことをどう思いますか」くらいのものだ。
同じメッセージでも、社会状況によって伝え方(伝わり方)が変わる。
そういう好例なのではないかと思う。

ところで、
「24時間戦えますか」というコピーが復活した背景には何があるのだろう。

●やっぱり「リゲイン」の印象は「24時間働けますか」が強かった。
●「働く」ことに対する、世の中の意識が高まっている。

一つ目が一番ありそうな感じで、代理店のプレゼンが思い浮かぶが、
二つ目、働くことへの意識の高まりというのも見逃せない。

ニートが「働いたら負けだと思っている」といって久しい。
革命的に儲けている人々に注目が集まっている。
転職、キャリアアップという言葉が一般化した。

少なくとも昔は「働き方」のバリエーションは少なく、そのモデルも
固まったものであったのに対し、いまは、「働く」前に、働き方への
自分なりのスタンスを決めることが要求される時代だ。
そういう時代背景も読み取った上で、このタイミングでの復活だと思う。

なかなか奥が深い。

koukokugyokai at 01:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年07月11日

元・業界人の視線

最近、広告業界をやめた、広告人。
その発言に、業界の明日が(なんとな〜く)見える気がする。

まず、先発、岡康道氏。(元・電通、現・タグボート)

「広告会社にとって、制作は媒体の広告枠を売る時に付随する
サービスのようなもの。制作費も不当に安く抑えられています。
この状況を変えないと」

asahi.com beより)

次に、今特に話題の、佐藤可士和氏。(元・博報堂、現・サムライ)

「本当に広告は基本見てもらえないと思っている。」

NHK:プロフェッショナルより)

最後に、タワーレコードなどで有名な、箭内道彦氏。(元・博報堂、現・風とロック)

「みんなのTVにCMが飛ばせる機能が付いちゃうんだったら、当然、
みんなが見たくなるCMをつくりましょうっていう流れが出来てくる。
それはCMにとってはすごいいいチャンスだと思うんです。」

Web acrossより)

岡氏は、広告業界の収益構造(価値提供構造)について、
佐藤氏は、広告という存在の基本的位置づけについて、
箭内氏は、広告がおかれていく今後の位置づけについて、
鋭い示唆を与えてくれる。

当ブログでも、触れている部分も多いことだ。
(自慢というわけじゃありませんで。)

ここで注目したいのは、彼らは個々の表現がどうとか、
個々の職種でどうとか、そういうことを述べているわけではない、
ということだ。つまり、業界や、広告というものの根本を
もう一度見直すときが来ている、ということだといえる。

広告業界は、地味〜に「待ったなし」状況にある。

何より救いなのは、これらの、元広告業界人は、
広告も、業界もまだ見限っていないということだ。
少なくとも嫌だからやめたはずなのに、見捨てていない。
これはすごいことである。
まだ、広告(業界)には可能性は残っている…のかもしれない。
だから、今のうちに何か…という気分になるというものだ。

koukokugyokai at 01:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年06月28日

広告とユーモア

b03c156d.jpg







ブログEngadgetに、「埋められる広告」の紹介。

天井に描かれているのが広告で、喫煙者を上から
迷惑がっている様子の絵を描いたもの(だと思われる)。
まるで埋められているかのようだ。
インドの広告会社のものらしい。広告?

日本の禁煙系広告といえば、JTの喫煙マナー広告が割と有名だけど、
インドのこれはかなりユーモアがある。

なんで、広告にはユーモアが必要なのか。
物を売ったり、ただ単にメッセージを伝えるだけならユーモアはいらない。
広告用語で言うと「スピードが落ちる」からだ。

ユーモアは人を和ませ、それによって伝えやすくする、
そういうことなのだろうか。何か違う気がする。

優れたクリエイティブには常にいえることだが、
効果ある広告というのは時に、「考えさせる」。
なぜそんなことをするかというと、考えさせることで、
より覚えやすく、印象に残りやすくなるからだ。

会社でOJTが推奨されたり、まずやってみることで
覚えるというのと同じことで、一度自分の思考という「回路」を
まわすことで、記憶に定着させやすくするのである。
講義などで、あえて質問して聴衆に考えさせるのと同じだ。

だからユーモアは面白いかどうかだけが重要ではなくて、
いかに、「うっとおしいと感じない程度で考えさせる」か
ということが重要になるのである。あまり迂遠でもいけない。

クリエイティブというのも、なかなか加減が難しいものである。

koukokugyokai at 01:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

カンヌ広告のチタニウム賞、日本の4名の会社が受賞

47aa0f21.gif






たった4名で運営されている日本のデザイン会社が、
カンヌのチタニウムライオンを受賞した。

詳しくはカンヌ広告賞のページ(英語)で。

"A small agency from Japan took the Titanium Lion for Design Barcode while Abbot Mead Vickers."

カンヌには、フィルムとか、ラジオとか、いくつかの部門によって
ライオン(賞)があるのだが、チタニウムライオンとは、
今までにない、型にはまらない新しい広告に対して贈られるもの。

このデザインバーコード、すでに飲料や食品を中心とした
いろいろな製品に使われ始めている。
ある意味、広告ではないのだが、広告効果もあり、
一部でかなり話題になっていた。

「効果の上で疑問」とか「面白いが、企画にならない」など
いろいろと業界内では言われているようであるが、
日本の、少人数で、しかも大きな代理店の傘に入らずに
活動している、若い会社が賞を獲ったことは快挙だ。
そのことが一番喜ばしいことだろう。

(※もちろん、電通・博報堂あたりもカンヌは獲っていますが)

これを「広告じゃないだろ」と言った方、
ちょっとアタマが固くなり始めていませんか。

彼らが言う「発明の域に達するクリエイティブ」に期待したい。

Design Barcode Inc.

(2006/8/25:コメントいただき修正付記)

これは技術や特許に関する意味において「発明」とはいいがたいとのこと。
ということなので、(いまのところ)彼らの「クリエイティビティ」に期待したいと思います。

koukokugyokai at 01:26|PermalinkComments(6)TrackBack(0)

2006年06月26日

(マス・)カスタマイズvs.ディープ・インサイト

31601d56.jpg






Web系の技術を用いるマーケティングというのは、つまるところ
「(マス・)カスタマイズ」に尽きると思う。
トラッキング技術を駆使して、「最も合っている」ユーザーを探す。
プログラミング技術を駆使して、「コンテンツをカスタマイズ」する。

それは商品の開発でも同じで、DELLに代表されるような
「パーツを組み合わせるカスタマイズ技術」を行う例も多い。
(マスに向けたカスタマイズ技術なので、「マス・カスタマイズ」といわれる)

ごく大雑把な言い方をしてしまったが、大前提の事実として、
これらが当てにするのは「今」の「ユーザー知識」である。
逆に言うと、これらの技術で自動化できないのは、「これから」の「無意識のニーズ」である。
オートマティックなプログラミングでは、いまのところ、
明日のことや、ユーザーの無意識の部分を把握できない。
ある意味、非常にインスタントなマーケティングなのである。

いろいろなことが自動化されると、
こんどは「人間にしかできないことは何か」ということが重要になる。

商品購買における、潜在的なニーズ。
今まで思いもつかなかったような、新しい表現や、商品。
こういったものは、いまのところ人間にしかつかめないし、作れない。

マーケターやデザイナーにこれから(より)問われるのは、
いまのところ代替がきかない、これらの技術なのだろうと思う。
ディープ・インサイトを「見抜く」力ということになるだろうか。

たとえば商品開発の「METAPHYS」などは、家電を使う人間の行為に注目し、
プロダクトデザインを行っている。
こういうものも、ディープ・インサイトのひとつかと思う。

こういうものは、よく「提案型」といわれたりするが、
提案することが重要なのではなくて、提案するものがより深く、
今まで気づかなかったものであることが重要なのだろう。

(…ずっと業界ではいわれていることですが、ますます
そういうものが重要になると思ってエントリしています。)

koukokugyokai at 01:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年06月23日

数学×クリエイティビティ

40c6dba9.jpg






iPodの有名な広告を作った人の発言より。

『どうして純粋に音楽を祝おうとしないんだろう、と思った。』
『音楽のために"iPod"というものを作ろう』
『影絵のほうがより感情的だった。ダンスを通せば音楽は
人間的で近づきやすいものになる。』

有名なコピーライターやデザイナーのプレゼンを聞いているとき、
いつも感じるのは、「非常に論理的だ」ということだ。
もちろん、影絵を用いるなどの表現ストックはテクニカルなものだが、
そこにいたる、判断はロジカルでさえある。

そういうことを聞いていると、これは数学だなあ、と思うのである。

素数を探す=それ以上、割り切れないものを探す。

因数分解する=それを構成する要素を洗い出す。

代入する=組み換えによって新しいアイデアを作る。

…要は、「方程式を解く」ということなのだろう。
このとき、yには最終の表現アイデアがくるのかもしれない。

はたから見ていると、テクニックの競い合い、思いつきの
羅列に見える制作表現も、明確に目的を持った、方程式を
解く作業によって生まれているということだ。

優れた制作者の条件は、数学を理解すること。
クリエイティビティとは数学である。
意外な逆説なのかもしれない。


koukokugyokai at 01:58|PermalinkComments(1)TrackBack(1)

2006年06月18日

クルマの広告はどうあるべき?

111dfe40.jpg





広告出稿の多い業種にクルマがある。
どうもクルマの広告というのは、作りづらいように思う。

同じく広告出稿の多い業界としては、日用品、家電などがあるが、
一番クルマが作りづらいと思う。

日用品は、たいてい機能差が小さい。価格も安い。
だから、(多くの場合)でかい声を出したものが勝つ。
つまり、出稿しまくるのが基本的には正しい。
あとは店頭でもでかい声を出すのが基本だ。

家電は、スペック的な要素がかなりある。
スペックに大きな差があれば、それを強調する。
もしスペック差が小さい場合は、商品ブランドが重要になる。
価格が安くなるほど、日用品の手法に近くなる。

クルマはどうすればいいのだろう。続きを読む

koukokugyokai at 01:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年06月05日

タレント広告の謎

日本の広告のひとつの特徴として「タレント広告が多い」と
いうことがよく言われる。
たいては、ネガティブな文脈で語られる。方向としては2つ。

●まともなタレントにとって広告出演は恥。(タレント批判)
●(商品に関係のない)タレント広告でモノが売れるのはおかしい。
(制作者および、消費者の見識批判)

前者はひとまずおいておいて、後者についてはどうだろう。

これを聞いていつも思うのは、同じく日本のひとつの特徴である、
「消費者が商品の質にとても厳しい」ということ。
消費者が商品の質に厳しいということは、商品を厳しく選ぶという
ことなのだから、安直にタレントで選ぶとは思えない。
しかし、日本にはタレント広告が非常に多い。これは謎だ。
制作者側がタレントばっかり使って、消費者は飽き飽きしているという
構図も考えられるが、一応、広告は効果検証を行う。
タレントが効果を持たないとわかれば、金もかかることだし、
使わない方向にシフトしていくと思うのだが。

仮に、商品の競争が激しくなったから、タレントでも出して
目立たないといけない、というならわかるのだが。
(競争が激しくない)昔から、タレント広告は多かったような気がする。

もしかしたら、情緒的な意味合いで、日本と海外では
タレントの持つ意味が違うのかもしれない。

個人的には、広告にタレントが出ていても悪くはないと思う。
ただ、せっかくだから、ただ出すだけじゃない方法をもっと
発展させられそうな気もする。

koukokugyokai at 00:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年06月04日

鳴かぬなら 私が鳴こう ホトトギス

608ee8e1.jpg






広告表現では、あるメッセージを伝える方法として、
単にストレートにそれを伝えることはあまり行われない。

たとえばここに1台のミニバンがあるとして、
排気量とか、大きさとか価格とかをストレートに言うことは
まずない。「このミニバン買って!」なんて広告もない。

もちろん、スペックを用途に言い換えるとか、そういうことが
行われるのだが、「?」と「!」を使う方法がある。

表現のを見ることで、その人が「疑問(?)」を持ち、
読み込むことで、「驚き(!)」が生まれるようにする手法のことだ。
中には、その表現だけを見たのではわからなくて、
別の表現を見て初めて「!」となる、大きな構造のものもある。

広告を見る人は、その商品に興味があるとは限らない。
たいてい、ない場合が多い。
それに、世の中の商品は激しい競合にさらされていて、
スペック概要を語っただけで、興味を引くものは多くない。

たとえばあなたが、好きな女の子を落とすときに
どういう形で話をするか考えてみよう。
あなたが「すごい男性」であればこれでいい。

「俺、東大でて、180センチで、豪邸あるよ」

しかし実際はそうじゃない。で、どうするか。

「君のうなじは松たか子に似てるね」

こんなこといわないだろうが、とにかく好きになってもらう前に、
まず、「興味を持ってもらう」ところからはじめるだろう。
広告にも、これが必要なのである。
そのために、「?」と「!」を生み出す。

…だというのに、世の中には、単なる商品説明でしかない
広告が数多い。誰のせいなのか?それは、ここでは伏せておく。

広告賞を獲るような表現の多くは、こういった
「?」と「!」が商品と絡めて、うまく構成されているものが多い。
(※広告賞を獲ればよいというものではないが)

ホトトギスを鳴かすためには、まず自分が鳴く必要がある、
という、基本的なお話でした。

koukokugyokai at 00:04|PermalinkComments(0)TrackBack(1)

2006年06月03日

広告は学芸会ではない

e54b6dc3.jpg





渋谷駅(埼京線ホーム)から外(西側)を見ると、
店の看板に、こんなものがある。

「ウィッグ ○○円」 (○○は金額)

これは広告ではなく、店の看板だ。
言ってみれば、通常店名を表示する部分だ。
もちろん店名も書いてあるが、下に小さくあるだけである。

これである。

たぶん、作った人はこう思ったのだろう。

「この店の名前は〜だ」
「だから普通、ここには〜と書くべき」
「しかしこれを見る人にとって必要な情報は何だろうか」
「商品内容と価格だ、店名ではない」
「駅(電車内)にいる人は、じっくり見ている時間はないだろう」
「では価格をとても大きく書こう」

彼/彼女は、店の看板であるかどうかにとらわれず、
「その看板が果たすべき役割」
「それを見る人が置かれている立場」
「それを見る人が最も求めており、気になる情報」
このあたりを軸に考えていたに違いない。

これなのだ、特にクライアントに理解してほしいことは。

確かに、商品の新しいところを考えるのは重要だ。
改善点、是非訴えたいことを考えるものも大切だ。
競合の動向も重要だ。
伝えたいことを、全部言い切りたいこともわかる。

でもちょっと待って欲しい。見るのは誰なのか。
その人たちは、どういう状況の人なのか。暇な人なのか。
そのうえで、そもそも、その広告の果たすべき役割は
なんなのか。

確かに広告を作るお金を出すのは、あなただ。
でも見るのはあなたじゃない。
広告は、小学校の学芸会じゃないのだ。
みんな、暖かく見守ってくれるわけじゃない。
だから、もっと、根本的なところで慎重になってほしい。

koukokugyokai at 03:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年05月28日

ユニット分化と広告業界

12835ea9.jpg




特定のブランドにおいて、その哲学や
デザインコンセプト(デザインの考え方)などが気に入ると、
「他の分野でも、このようにやってくれたらいいのに」ということが
私はよくある。

たとえば、IBMのデザイン(と、それにいたる哲学)が私は
すきなのだが、パソコン分野に限らず製品をデザインしてくれれば
いいのにと思う。

逆に企業側でも、突出したある分野が独立して
その企業にとどまらず、多くの企業とコラボレーションすることがある。
ポルシェにおける「ポルシェ デザイン」などはこれに近いと思う。
ポルシェデザインでは、財布、キーホルダー、バッグ、家電など
車だけではないデザインを手がけており、その組織はポルシェ本体とは
独立して行っている。

これは、NTTが人材部門だけを独立させて派遣会社を作るのとは異なる。
コストダウンや合理化のためではなく、ある意味、ブランドの拡張として、
価値を生む産業として成り立たせるということである。

さて、広告業界でも、なんとなく似たようなところがある。
もちろん、NTTのように、合理化のために人材部門やその他IT部門を
切り離して分社化することもあるにはあるのだが、専門的な
力を持っている部署を切り離して、独立させることがある。
これは、クリエイター個人が独立することとは少し異なる。

たとえば、電通リサーチ、HAKUHODO DESIGNなどはそれに近いと思う。

しかし、この組織、たとえば電通や博報堂といった「ブランド」に
よりかかるだけではなくて、独立して価値を生み出し、もともとの
「ブランド」に価値を付与するようなことができているだろうか。

どうもポルシェ型というよりは、NTT型に近いような気がする。
それは、これらの組織が、どれだけ「親ブランド」を経由せずに
仕事をしているかで計ることができる。

NTT型ではない、ポルシェ型のユニット分化は
これからの広告代理店のひとつの方向性としてあると思うのだが、
もっと本腰を入れて欲しいところだ。

もっと先まで言うと、社会全体で見ればすべての会社に
デザイン部門や経理部門がそれぞれに必要なわけはないので、
社会全体でひとつの会社を成すようなユニット分化が行われれば
生み出す価値の総量も上がるのではないかと思う。

それはアウトソーシングというコスト優先の動機ではなくして、
より多くの価値の創出、という側面からも語られるべきだと思うが
どうだろうか。

たとえば、IBMデザイン(架空)×ホンダ×BOSE×ハーマンミラーとかで
車を一台作ったりしたら面白いと思うのだが。

koukokugyokai at 14:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年05月13日

広告賞の意義

6c2fb7d1.jpg






広告業界には、「広告賞」というものがある。
優れた広告を、褒め称える、という意義である。
有名な広告賞は、カンヌ広告賞、クリオ広告賞などあるが、
日本にもACC、TCC、宣伝会議、電通などが主催する
広告賞が存在する。

これは制作職の人間にとっては大きなモチベーションであり、
この賞をとることによって、個人としての実力が
認められることになる。いわば登竜門である。

最近では、特に海外において、広告会社だけではなく
広告主も、この賞に注目し始めている。
いわば広告会社の能力を見る手段の一つ、になっている。

ちなみに日本の広告会社では、電通・博報堂あたりが
何度か受賞したものの、その割合はまったくもって小さく、
「その意味では」世界に通用していない。
※数字上はそうなのだが、日本固有の複雑な事情もある。

さて業界内部では、この賞に対し、賛否両論がある。
代表的なのが「スパム(だったか)」と呼ばれるものだ。

要は、広告賞応募のために、ろくに露出しない広告を
作るということである。それが広義のスパムである。
こういうことが生まれるのは、ラディカルなアイデアが
クライアントに採用されにくいという、世界的な傾向がある。

他にも、地域によって消費者の好みは違うのに、
世界共通の「優れた広告」など存在するのか、ということがある。

さらに、広告賞をとるような広告が、「ほんとうに優れた広告」
なのか、という疑念も、ずっとくすぶっている。

さらにさらに、「業界内の賞」などというものが、
本当に意味のあるものなのか、という根本的な疑問もある。
ちなみに、賞を選ぶのは、業界内の人間がほとんどだ。
少なくとも、一般消費者は選んでいない。

ひとつここでいえるのは、少なくとも現状の広告賞は、
広告賞以上の意義はないということだ。
つまり、広告会社の能力を測れるものではないし、
また、制作職個人の能力を測れるものではない。

そういう側面を求めるのであれば、
「何が優れた広告か」
「どういう人が優れた広告人(?)か」ということを
はっきりさせるべきなのだ。

(明確な)ルールはないのに、賞はある。
こういうものを、賞といっていいのだろうか。激しく疑問だ。

koukokugyokai at 00:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2005年10月22日

エンジニアリング・アートの可能性

最近では、カンヌ(※)でも
「メディアライオン」なる賞が設けられて、
メディアのクリエイティブな使い方について議論がある。

メディア・・・といえばつい最近までは
4媒体(TV・新聞・雑誌・ラジオ)で固定されてて、
せいぜいメディアミックスの議論くらいしか
されていなかったのに、だ。

ここ数年の動きだと
交通広告(特に鉄道関連)を工夫して
面白い広告をやったりする例が日本では多いし、
他には、Tシャツを着せた人を歩かせたり(goo/NTTレゾナンス)、
Webでムービー作ったり(多数)、
ドラマーシャル(ドラマとコマーシャルの融合)、
触れるWeb(au/KDDI)、
新聞の一面買いきり(日産/SHIFT_)とか
いろいろと工夫してる例がある。

もちろん、こういう動きは面白いし、
これでもっと活性化していったら面白いなあと思うのだが、
その背後に、エンジニアリングという考えがあると思う。

というのは、大きく広げればGoogleやアマゾン、
Tivoとかっていう新しく面白いサービスには、
その背後に必ず「テクノロジー」というものが潜んでいるからだ。
リスティング広告(検索用語を買い切る広告)、
Google Earth(地球上を見て回れるサービス)、
アフィリエイト(自分のWebに広告をはって収入が入る)、
アマゾンのリコメンドシステム
(この商品を買った人は、こんなものも買っています)
というものは、そもそもテクノロジーの力なしには実現しない。
これらのアイデアは、テクノロジーとセットである。
つまり、単なるアイデアマンではダメで、
テクノロジーに精通したアイデアマンじゃないとダメ、ってことだ。

それをここでは、エンジニアリング・アートと呼ぼう。
(アーティスティック・エンジニアリングでも可)

今のデザイナーは、広告であろうとそうでなかろうと、
エンジニア的な才能も持ち合わせていないとダメだと思う。
単に絵がうまいとか、アイデアがあるというだけでは
世界が広がらない。

Webのテクノロジーを利用したサービスとか
キャンペーン設計とかを行って、新しさを出す。
そうでないと、単なる「今までとは違う表現」
にしかならない可能性が高い。

アートの世界で言うと、それはメディアアートなのかもしれないし、
広告で言うと、それはメディアライオンかもしれない。

それでいうと、
Hotmail(無料のWebメール)なんかは、メディアライオンとして
ぴったりと思うのだけれど、あまり言及されない。
だって、サービスが無料で利用できるかわりに
文末に広告が表示されるなんて、広告のシステムそのものだし、
それでどんどん利用者が広がってくんだから、たいしたものだ。
(フリーペーパーなんかもそうか)

広告の凄いところは、表現ではなくて、
その仕組みや設計だと常々思う。

企業が広告を掲載する代わりに、
消費者は無料で(あるいは安く)サービスが利用できる。
このシステム(仕組み)を考えたことこそ、
広告業界で最大のクリエイティビティだと思う。

ちょっと話が広がりすぎたけれども、
「仕組み」を考える「エンジニアリング・アート」的側面が
これからは重要になる、に、違いない。

(※カンヌ・・・カンヌ国際広告賞。実は映画だけでなく広告表現にも国際的な賞がある。業界では有名。)

koukokugyokai at 04:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2005年02月13日

TUGBOAT、シンガタ、サムライ、風とロック・・・

「クリエイティブ・エージェンシー」というものがある。
どういう定義なのか不勉強でよくわからないが、
日本におけるそれは、代理店のスタークリエイターが独立して、
制作をメインに請け負う会社というのが一般的な理解だと思う。
 
広告業界の中ではこういった会社が設立される動きが
数年前からおこり、TUGBOAT、シンガタ、風とロック、サムライ、
宇宙カントリーといった会社が続々と設立された。
 
学生や、現在代理店の制作職として働いている人のなかには、
このような会社を立ち上げたい、またはそこで働きたいと考える人が
多いんじゃないかと思う。
 
よーく考えると、こういう動きは最近だけの話じゃなくて、
もっと前には糸井重里とか、大貫卓也とかが
個人事務所を起こした頃から存在する。
その頃と最も違うのは、集団である場合が多いこと、
それがゆえに比較的大規模・統合的なキャンペーンに
かかわることが多いことだ。
また、前述の個人事務所は広告以外の業務に
フォーカスされていくことも多いが、クリエイティブ・エージェンシーは
あくまで広告がメインだというのもちょっと違うところだ。
 
素朴な感想としては、「自由そうでいいなあ」ということになろうが、
彼らはもともとスタークリエイターだから、自分の名前で仕事が取れる。
だから、それができない人を(事務ならともかく)採ることはないし、
だめな仕事をしたら、一気に信用がなくなるからシビアだともいえる。
 
日本の広告に元気がなくなったと言われて久しいが、
クリエイティブ・エージェンシーは日本の広告に変化をもたらすだろうか。
 
それぞれの会社を立ち上げた人は、ホンネではどうなのか知らないが、
それぞれに問題意識を持っているようである。
広告に危機意識を持つ人、(大)企業に危機意識を持つ人、
もっと違うことに危機意識を持つ人。
また、映画やプロモーションビデオなど、違う分野へも積極的に
取り組んでいる様子がある。
 
そういった意味では、広告業の広告になっているし、
電博へのプレッシャーも(多少)与えていると思う。
期待したい。
 
ただ、一つ気になるのは、クリエイティブ・エージェンシーの
ほとんどが、ほぼデザイン・クリエイティブプランに
焦点を絞っていること。
 
広い意味で企画を行うような、そういったエージェンシーが
出てくれば面白いかな、とは思う。
というのは、クリエイティブやデザインだけが広告業の本質では
ないと思うからだ。エッジではあるけれど。
なかなか難しそうだ。事業性、信用、統合性・・・
 
代理店にはいろいろ考えている人がいるから、
そういうエージェンシーが出て来る日も遠くはないだろう。
現在のクリエイティブエージェンシーがそうなるのかもしれない。
その胎動は見えている。
 
クリエイティブ・エージェンシー、まだまだ目が離せない。


koukokugyokai at 23:17|PermalinkComments(1)TrackBack(0)

2005年01月19日

日本の広告表現はつまらないか?リターンズ

相変わらず日本の広告表現はつまらない。
HDDレコーダーが出て、ますますみんなが
CMスキップができるようになってしまったのに、つまらない。

企業がなにを言いたいかなんて事は、消費者から見れば、
どうだっていいことだ。あたりまえだ。

会社員だって家に帰りゃあ一人の消費者なのに、
そんな簡単な常識まで消えているのだ。

なのに商品名を連呼する。
なのに意味ない機能を連呼する。
なのにわけの分からない外人でイメージ広告する。
なのに未だにコピーで言葉遊びする。
なのに未だに嘘を並べる。

いったいどこのどいつがおかしいんだ。

前回の話では得意先(クライアント)を槍玉にあげたが、
そりゃじゃあ話が進まないんで、もっと考える。

クライアントが視野狭窄だとしたら、じゃあどうすればいいか?
それはクライアントが納得しつつ、おもろい広告を作ることだ。
それはどういうことか?

クライアントの担当者は代理店からプレゼンを受けて持ち帰る。
んで社内の上の人に説明する。
それが通らないと意味がないし、昇進にかかわる。
だからどうしても保守的になる。
(んなこと消費者にとってはどーでもいい)

だから、クライアント担当者が社内に
自信を持って「だからこれがいいんです」といえれば
いいのである。

どうしたらよいか?
それは代理店の説得力がクライアント社内に及べばいい。

「電通さんのだからいいんです」
「そうか」

こうなればいい。
そうなるためにはどうすればいいか?

1つは、ふざけてないで、常に(世の中的に)すごい
仕事を代理店がやり続けること。
そのためには、いまみたいに黒子じゃなくて、
前面で「ウチがコレやりました」という仕事を
して、世の中に評価されなければならない。

もう一つは、個人が有名になること。
最低、糸井重里くらいは有名になることが必要だ。

つまり、実力を上げて、社外、世間でも
有名になれよ、通用しろよって言うことだ。

クライアントがあほなら、自分で何とかするまでだ・・・
そのくらいの気合はもってていいんじゃないの。

ねえ、電通さん!博報堂さん!

 



koukokugyokai at 01:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2004年10月23日

日本の広告表現はつまらないか?(2)

(1から続く)

実際、広告主からすれば、広告表現が面白くある必要はない。
「おもろい企業だな」と思ってもらいたい場合を除けば、
芸術性あふれる、面白い広告を作る理由はない。

売れればいいのだ、売れれば。
その理由が「ハセキョーがかわいいから」でも問題ない。
広告はボランティアでもなければアートでもない。

個人的には、こういう結果になるのは悲しいが、
広告主のせいではないと思っている。

見ている人間が悪い。
というか、そんな広告で物が売れる社会の問題なのだ。
くだらないCMが叩かれ、商品が売れなければ、
広告主だってそんなCMは打たないんだから。

これから先、広告はますます効果がなくなっていくだろう。
消費者は情報を持つようになった。
情報があまるようになった。
豊かになって、「出せば売れる」時代でもなくなった。
実は欧米では、一足先にそういう状態になっているようで、
だからこそ他社との差をつけるために、
話題になる広告、面白い広告が開発されるのかもしれない。

日本ももしかしたら、これからそうなるのかもしれない。
商品でもデザイン・個性が重視される時代だから。

ところで、「製作者のセンスが悪い」という可能性は
どうだろうか。コレは難しい。しかし、可能性は薄い。
私が見ている限り、制作職の人間は、バカもいるが、
押しなべて、アート的・アイデア的能力は高い。
特に若い人間は。

いろいろ言ってみたが、代理店は得意先のイヌになるのでは
なく、自らの力を上げて、得意先を納得させるような
提案をしていかないとだめだろう。
それは非常に難しいことで、多くの問題を抱えているが。

※補足
欧米の広告が進んでいる、という前提で書いてみたが、
そうじゃない可能性もある。実際、欧米でもゴミ広告は多い。
日本の広告表現が悪くない可能性もある。
すぐれた制作職の人は広告業界全体で見たら一部かもしれない。
また、広告効果は表現だけでは語れない。
また、個人的には80年代のバブリーなコピーライターブームは
大きらいである。中身がないから。

koukokugyokai at 00:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)